「100年先まで伝えたい」国家権力に虐殺された伊藤野枝の生きざま 故郷・福岡に詩碑建立の動き
■野枝17歳の鮮烈なデビュー作『東の渚』 林龍之介さんは17歳。同じ17歳で野枝さんが書いた詩、『東の渚』は、雑誌『青鞜』でのデビュー作です。その詩が会場で読み上げられました。朗読したのは俳優の大國千緒奈さんです。 『東の渚』伊藤野枝 東の磯の離れ岩、その褐色の岩の背に、今日もとまつたケエツブロウよ、何故にお前はそのやうにかなしい声してお泣きやる。(中略) ケエツブロウとは、海鳥のカイツブリを指す、福岡の方言です。ケエツブロウに寄せて、自分の心情を語っているのです。 ねえケエツブロウやいつその事に死んでおしまひ!その岩の上で――お前が死ねば私も死ぬよどうせ死ぬならケエツブロウよかなしお前とあの渦巻へ――(『青鞜』1912年11月号) 古里に拘束されてしまう、17歳の心。結婚制度にも拘束されてしまう自分たちの世代、女性の気持ちが、ケエツブロウに寄せて書かれたものだと思います。 ■「100年早かった女」野枝の詩碑を古里に 生まれた今宿の海岸から東を眺めると、長垂(ながたれ)公園があります。国道202号が海岸端を走る時、きれいな岩場が見えます。福岡市に住んでいる人にとっては、馴染み深い地形ですね。この『東の渚』という詩を、これから活かせないか、という話が会場で出てきました。 神田紅さん:ケイツブロウの詩は、野枝が出奔してしまう一番苦しい時期です。もう死んでしまう、と。ケイツブロウのように、渦巻きの中に自分の身を投げ入れようか、という詩なんです。いや、待てよ…「まだ何かやれることがあるんじゃないか」という希望を持って再び東京に出ていって、たくさん子供を産んでいろいろな偉業を成し遂げていく、本当に一番苦しいときの詩でございます。神田紅さん:私にとっては長垂海水浴場ですけど、今は公園になっている、そこに詩碑を建てたら、これからの女性のためにも、世界のためにも、私にとっても希望の場所となるのではないか。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。