「100年先まで伝えたい」国家権力に虐殺された伊藤野枝の生きざま 故郷・福岡に詩碑建立の動き
伊藤野枝さんが生まれたのは、福岡県糸島郡今宿村(現・福岡市西区今宿)の貧しい家でした。学問に秀でていたので、伯父の支援で東京の女学校に進みましたが、卒業直前に17歳で古里で結婚を強制され、すぐに出奔して再び東京に向かいました。そして、日本で初めての女性文芸誌『青鞜』の2代目編集長となりました。「自由恋愛」、恋愛は家に妨げられるものではなく自由だ、と主張しました。当時は、社会とは全く異質な主張だったはずです。野枝さんの墓は今宿の墓地にあったのですが、移転。墓石だった石は、故郷・今宿の山の中に静かに安置されています。 ■「伊藤野枝メモリアル2024」 命日の9月16日、生まれた福岡市西区今宿で「伊藤野枝メモリアル2024」が開催されました。クロストークでは司会の桂仁徳さんが、こんな評価をしています。 桂仁徳さん:野枝さんがよく言っていた、「習俗打破」というすごいパンチの効いた言葉があります。 「あゝ、習俗打破!習俗打破!それより他には私達のすくはれる途(みち)はない。呪ひ封じ込まれたるいたましい婦人の生活よ!私達は何時までも何時迄もぢっと耐えてはいられない」(『青鞜』1915年2月号) 桂さん:この、野枝さんが言う「習俗打破」。因習というのは、当時の慣行とか習慣とか空気とか、さらに言えば、今で言うところの無意識の偏見。そういったものも含んでいると思います。 「習俗打破」、因習・慣習に縛られない自由な生き方を求めた伊藤野枝さん。1年前の2023年9月には「伊藤野枝100年フェスティバル」が開催され、全国から人が集まりました。その様子は、この番組で紹介しました。その時、神田紅さんの新作講談『野枝物語』を紹介しました。日本講談協会の会長で講談界の第一人者、修猷館高校卒業の福岡県人です。 ■「時代は変わった」野枝を高校文化祭で紹介 今年は神田さんに加え、現役の修猷館高校の生徒も参加しました。歴史の授業で伊藤野枝を知り、文化祭で採り上げたのだそうです。 修猷館高2年 林龍之介さん:(先生が)大正時代を扱う時に、すごく熱く野枝さんのことが語られていたのが印象的で、「もっといろいろな人に伝えていけないか」ということで、文化祭でやろうということに、クラスでなりました。林龍之介さん:劇みたいなものを交えてながらやっていて、糸島から東京に野枝さんが上京していく時の話で、実際に家族の反対を振り切って東京へ上京していく中で、参加者の人たちが大正の時代にタイムスリップしたような形のものを目指して、目の前で劇をしながら、「東京に行くんだ」と野枝さんが言っているのを、謎解きをしながら野枝さんを手伝っていき、「参加型の脱出ゲーム」のようなものをしました。 神田紅さん:伊藤野枝という人は、自分も覚悟を決めながら、もうそのつど悩みながら、進んでいった。後輩の修猷館の生徒さんたちが、その伊藤野枝を扱ってくださって、「かっこいいんじゃないの」とみんなが賛成した。感心いたしました。私や桂さんの時代は、そんな女性が主人公になるような物語は、なかなか取り上げられなかったんですが、時代が変わりました。 伊藤野枝さんの謎解きをしながらの「参加型の脱出ゲーム」。すごいと思いましたね。修猷館高校の卒業生と現役の生徒との会話が成り立っていたので、時代を超えて伊藤野枝がつながっているな、とうれしくなりました。