捜査しない警察、家の前を占拠するマスコミ…桶川ストーカー事件遺族が戦い続けた25年「娘は3度殺された」
ストーカー規制法制定のきっかけとなった桶川ストーカー殺人事件から2024年10月で25年がたった。事件取材と報道について考えるシンポジウムが11月30日、東京都内で開かれ、亡くなった猪野詩織さん(当時21歳)の遺族ら約50人が集まった。 桶川事件は、虚偽を含む被害者の情報が流布されるなど報道が過熱。独自取材をしていた写真週刊誌の記者だった清水潔さんによって埼玉県警のずさんな捜査や記録改ざんが明るみに出るなど、メディアや警察のあり方が問われた。 詩織さんの父憲一さんは「娘は3度殺された。犯罪者、捜査を怠った警察、真実を報じないマスコミにです」と語り、妻の京子さん、現在はフリージャーナリストとして活躍する清水さんと共に当時を振り返った。
●警察発表に頼らず、独自取材で突き止めた「犯人」
事件は1999年10月26日、埼玉県のJR桶川駅前で発生。元交際相手らに約半年間にわたって付きまといや嫌がらせをされた末のことだった。この間、猪野さん家族は警察に何度も被害を訴えたものの、対応してもらえず、事件が起きた。 「もし私が殺されたら犯人は●●」と友人に言い残し、遺書もしたためていた詩織さん。白昼の駅前での女子大学生の死に当時のマスコミは、被害者のプライバシーばかりに時間を割いた。「被害者家族には会話がなかった」「ブランド好きな女子大学生」など根拠のない情報が垂れ流された。 家の前をマスコミが占拠し、弟たちは学校に行くのも困難な状況。家族はテレビ局に抗議するも「警察が言ったから書いたんだよ」「独占インタビューを撮らせてくれるなら、やめてもいい」などと心ない言葉を掛けられた。母京子さんは「一番悔しかったのは、しーちゃん(詩織さん)。胸を張ろう、顔を上げようと生きてきました」と話した。 一方、記者クラブ外の清水さんは「同じことをしても意味がない」と現場や友人などに取材。朝から晩まで現場で花を手向ける人に話しかけ、その中の友人から詩織さんがストーカー被害に遭っていたことを知る。徐々に犯人グループの実態に近づく。 「詩織さんは細かく経緯を友達に伝え、メモをとってほしいと伝えていた。その友達も分厚いノートに記録していた。当時は高級なプレゼントをおねだりしていたなど詩織さんのイメージにまつわる報道ばかりだった時期で、あまりにも印象が違うので驚きました」 友人の話について事細かに裏どりを重ね、信憑性があると認識。張り込みを続け、実行犯を特定した。その間も埼玉県警の捜査員が来ることはなかったという。 「警察は詩織さんの訴え通りに事件が起きてしまった、救えなかったことを知られてはまずいわけです。捜査怠慢を証明することになるわけですから。遺族の会見の日に、別の大きな事件の逮捕をぶつけるなど警察は組織防衛のためには、どんなことでもすることを知りました」 その後の調べで、県警は詩織さんが出した供述調書の「告訴」を「届け出」に変えるなどして改ざんし、告訴の取り下げも要請したとされ、当時の警察官3人が有罪判決を受けている。 清水さんは強調する。「メディアは、声の大きい人の言い分を伝えたって意味がない。警察が発表すれば書けることだけ書くんじゃなく、小さい声を伝えることしかない」