「芸能界など絶対に許さん!!」 松田聖子のデビューに猛反対した父親の親心
紺色のワンピースで
そして彼女は現れた。高校が終わってからすぐに着替えて福岡営業所まで駆けつけてくれたという。このとき着ていたのが紺のワンピース。今も脳裏にはっきりと焼き付いているが、清楚な出立ちが非常によかった。横には彼女をやさしく見守る母・一子さんの姿があり、一目で大切に育てられてきた良家の子女であることがわかった。 聞けば子供の頃から服が好きで、特別な日には紺の服を着ることが多かったという。のちのち私も聖子自身も、このときの服装のことを語ることが多かったが、よく聖子は、あのとき紺のワンピースを着ていたから若松さんにスカウトしてもらうことができたと話していた。 確かにそうだったかもしれない。デビュー後に「聖子ちゃんカット」という愛称で親しまれた髪型こそしていなかったが、ふわりと髪をサイドに流し、愛らしい表情に加えて知性と品の良さを持ち合わせていることも瞬時に見てとれた。 営業所の隅にある打ち合わせテーブルで、私と聖子と母親はしばらく話をしていた。歌のこと、学校のこと、将来の夢。するとタイミングよく、レコード店回りを終えたスタッフが数名戻ってきた。「ミスセブンティーンの九州大会で優勝した子なんだよ」と私が話すと、彼らも興味津々でテーブルの周りに集まってきてくれた。 「そうしたら法子さん、何か歌ってもらってもいいですか?」 数名ではあったがスタッフも揃ったし、丁度いいとばかりにお願いする私の言葉に小さく頷く彼女。オーディションのテープは既に何度も繰り返し聴いていたが、生の歌はこれが初めてだった。こちらの高なる胸中を知ってか知らずか、聖子は照れつつもおもむろに歌い始めた。営業所に備え付けられたオーディオから流れてきたのは、意外にも渡辺真知子の『迷い道』だった。
「現在・過去・未来、あの人に逢ったなら~」 CBS・ソニーのヒット曲がセットされた伴奏音源からのセレクトだったが、『気まぐれヴィーナス』とは全く違うニューミュージック系の曲をのびのびと歌う姿は、既に「松田聖子」の片鱗を見せていた。緊張もしていたと思う。16歳の少女だ。オーディションこそ受けていたが、人前で歌うことは、ほとんどなかっただろう。しかしその歌声は実に素晴らしかった。その上とてつもないエネルギーを秘めており、早くも私のプロデューサーとしての勘は確信へと変わりつつあった。 「この子はスターになるぞ!」 何より生の声量に驚かされた。マイクは要らないじゃないか。言葉の最後に残る母音の響きや声質の良さ、高音の心地よさ、中音域の深み。その後次々に開花していく彼女のヴォーカリストとして才能を、既にこの時点で十二分に感じさせてくれた。未完成な部分ですら、これからの進化を予感させ、私はすぐに彼女と母親にその場でこう告げていた。 「私はCBS・ソニーで制作の一部門を任されています。私の一存でデビューすると言えばできます。ぜひ法子さんを歌手としてデビューさせてください!!」 ところが歓喜の表情を浮かべる彼女の横で、母親は微妙に顔を曇らせている。聞けばこの日は歌手のコンサートに行くと言って、父親には内緒で福岡の営業所まで来たのだという。ミスセブンティーンの九州大会で優勝した日も、実は持ち帰った花束は床下に隠し、父親に告白したのは数日後。しかも話が終わらぬうちに父親は烈火のごとく怒り始め、「何を考えているんだ! 芸能界など絶対に許さん!!」と怒鳴り、言えば言うほど態度を硬化させていったという。高校も、芸能活動は一切禁止していた。 父親の蒲池孜さんは当時、大牟田の社会保険事務所に勤める国家公務員で、近くに住む伯父一家も病院を経営しており、兄は大学職員。蒲池家は実にお堅い家柄であった。およそ芸能には関係がない環境で、もしもあのまま行っていたら聖子は蒲池法子のまま「松田聖子」という芸名に出会うこともなく、ミッション系の名門女子校を卒業後、大学に通い、全く別の道を歩んでいたかもしれない。 しかし彼女は歌が好きだった。