《ススキノ首切断》「娘がクラブで知り合った人と遊びに行く」は両親にとって“子育ての成功”だった...?「予期せぬ性被害」が導いた「地獄の始まり」の可能性
警察を信用していなかった修被告
前出の和田氏によると「事件を防ぐ手立てはあった」という。 「警察の対応です。瑠奈被告が被害男性とトラブルになったときに動けていれば事件は起こらなかったと思います。瑠奈被告に限らず、性暴力や性被害にあった当事者は被害を訴えても警察が何もしてくれない、解決されない問題が非常に多い」 おまけに被害男性は瑠奈被告の自宅を複数回訪れ、接触を試みていた。家族は追い返す方法を考えるのではなく、被害男性を「ストーカー」「性加害者」として警察に相談していれば事態は大きく変わっていたと推測される。 だが、そうした様子は見られない。 「特に修被告は警察を信用していなかったのでしょう。何もしてくれないことがわかっていた。私を含めて精神科医は過去のトラブルや怖い思いを明かした患者から『警察は動いてくれなかった』ということをよく聞きます。 性暴力や被害を受けたとき『警察への被害相談』は大切なこと。ですが、実際に警察にいっても『先生ダメでした』と訴えられるケースがほとんど。 そうなると自分たちの手で被害男性を探しだして問題を解決する、という考えに辿りついてもおかしくはない。当然、娘を傷つけた男性を親は許せません」 修被告は患者と向き合い、真摯にその声に耳を傾けることに長けていた評判の精神科医だったという。だからこそ、警察では解決できないこともわかっていたのだろう。 怒り、不安定になる娘に対して「警察に行こう」とはせず、瑠奈被告の気持ちも汲みながら「我々で解決しないといけない」との気持ちに駆られていたのではないだろうか。 誤算だったのは娘が殺人を犯すということだ。 そこまでは考えが及ばなかったのだろう。
当事者差別につながる安易な結びつけ
「あくまでも推測ですが、両親にとってみれば被害者は娘を傷つけた憎い相手。殺されても仕方がない、と思っていたかもしれません。だから殺しが発覚したときは家族でかばおうとしたのでしょう」 とはいえ、両親は猟奇的な瑠奈被告の行動に強いストレスを覚えていたというが警察に通報することはなかった。それどころか「警察がきたときは運命を受け入れよう」「その日までのわずかな時間をこれまで通り、家族として生活することを選択した」としていたことが公判の中で明かされている。 そして事件後には猟奇的な状況や、瑠奈被告の疾患ばかりが面白おかしく注目されることになる。 「確かに大事件を起こした加害者が自宅に引きこもっていたり、発達障害や精神疾患があった、とされることはあります。ですが、そうした当事者が事件を起こすケースは確率論としては非常に低い。発達障害だから、精神疾患だから事件を起こす、という考えは間違っています。むしろ社会での生活を目標に頑張っている当事者たちがさらに生きづらくなってしまう」 そうした偏見や差別が当事者とその家族をさらに追い込んでいくのではないだろうか。障害や疾患を事件と安易に結びつけることが、さらなる差別や悲劇を生み出すことに多くの人々は気づいていない。
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