《ススキノ首切断》「娘がクラブで知り合った人と遊びに行く」は両親にとって“子育ての成功”だった...?「予期せぬ性被害」が導いた「地獄の始まり」の可能性
両親の子育て方法は「間違い」ではない
溺愛とされた「叱らない子育て」や「瑠奈ファースト」という暮らしぶりも、両親は真摯に瑠奈被告と向き合っていたプロセスのひとつだと考えられるという。 「両親は瑠奈被告を本当に大切に育ててきたのでしょう。修被告は医師としての自分の地位とか名誉なんてどうでもいい、というくらいの感覚で関わっているような気がしています」 甘やかし、わがまま放題に育てていても、それは瑠奈被告の特性に合わせてのこと。生きづらさを抱える娘が「少しでも楽に生きられれば」と、両親は苦しみながらもそうした子育て方法を選んだのではないだろうか。望むものを与え、外出にも付き合ったり、やりたいことをさせた。娘の社会性回復につながるのであれば惜しみなく与え、献身的に支えてきた。 浩子被告の初公判では親子関係が破綻していたことも指摘されているが、これについて和田氏は次のように推測している。 「例えば家庭内暴力です。止めるのではなくて、当事者の気がすむように振るわせておくというのが一般的な関わり方。良いか悪いか、正しいか正しくないか、その判断は第三者である私たちには判断できません。状況によって、ちょっと違うかな、と私自身も思うことはありますが、修被告の医師としての瑠奈被告への接し方は、いわゆる教科書通りのこと。間違ったことはしていないのです」 やり方が間違っていればもっと早い段階で違う方法を選択することもできただろう。それをしなかったということは破綻しているように見える親子関係であっても、「うまく機能している」と、家族が認識し、納得していたとすれば否定することはできない。
瑠奈被告の抱えていた生きづらさ
「瑠奈被告には生活を通し、生きることに自信を持たせて、徐々に外に出られるようにしていく、それが両親の戦術だったのだと思います」 小学生のころは友達を家に招くなどどこでもいるような普通の少女だった瑠奈被告。だが成長するにつれ、彼女の持つ特性から生きづらさを覚え、自傷行為や自殺未遂を繰り返すようになったのではないだろうか。 そのため、被害者とのトラブルが起きる前、「クラブで知り合った人と遊びに行く」との瑠奈自身の行動に対し、自発的に外に出て、家族以外の人と交流を持つチャンスと家族はとらえたのだろう。公判では母親が喜んでいた旨が明かされている。 ただし、その行動が発端となり、瑠奈被告は被害者に恨みを持つことになった。 「家族にしてみれば性被害に遭うことは、もちろん考えてはいなかった。そこら辺までは能天気だったと思いますよ。これまで褒めて育ててきたかいがあった、と。しかし、結果は娘は傷つけられて帰ってきた」 一転して家族にとっての「地獄の始まり」となってしまった。
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