『光る君へ』は脚本・大石静による“源氏物語”に いよいよ吉高由里子が“紫式部”へ
紫式部は虚構の「物語」をいかにして書くに至ったのか
それは、膨大な史料を読み解きながら、その成立背景や執筆動機を解き明かすことではない。それは、歴史研究者のやることだ。そうではなく、本作で脚本家・大石静が挑んでいるのは、『源氏物語』という実は一筋縄ではいかない、とても複雑な虚構世界を構築した「紫式部」という作者の「感性」を、その生涯を想像しながら解き明かしていくことなのではないか。 彼女のものの見方はもちろん、その「恋愛観」や「死生観」、果ては「人生観」までもが、大いに反映されていると思われる『源氏物語』。その作者は、果たしてどんな人々と出会い、どのような体験をしながら、やがて自ら虚構の「物語」を書くに至ったのか。なぜ、その主人公は「光源氏」という男性だったのか。それを直接的に明らかにする史料は、ほとんど残されてない。残っていても、そこから推察するしかない。否、だからこそ、そこに想像力が花開く余地があるのだ。そのとき参照するのは、残された史料以上に『源氏物語』そのものなのだろう。その内容を深く深く読み込みながら、いかなる経験をすればーーあるいは、自らの経験ではなくとも、どのような出来事を見聞きすれば、このような物語が書けるのか。それを探ること。「恋愛ドラマ」の脚本家として培ってきた自身の想像力によって、その部分に大胆に切り込んで見せたのが、本作『光る君へ』なのではないか。 とはいえ、まひろの物語は、まだまだ中盤戦。宣孝の妻でありながら、道長の子を産み落とした(これもすごい設定だ)彼女は、すべてを察している夫によって「賢子」と名づけられた娘を――やがて「大弐三位(だいにのさんみ)」という優れた歌人として後世に名を残すことになる彼女を、どのように育て上げてゆくのか。そして、まひろの生涯において、またひとり重要な存在となるであろう彰子(見上愛)とは、どのような形で出会い、彼女とのあいだに、どんな関係性をつくり上げていくのだろうか。ちなみに彰子は道長の愛娘である。まったく何という構図なのだろう! 複雑に入り組んだ「愛」の行方と、その終着点は、果たして何処に。まさしく『源氏物語』の世界、そのものではないか。つまりは、そういうことなのだろう。新たなライフステージに突入し、より一層深みと苦みを増しながら、その奥行きを深めていくであろう『光る君へ』の今後に注目したい。
麦倉正樹