少年はなぜ大麻の売人になったのか 試しに吸って沼にはまった 「人を不幸にしたと知った」
売人の先輩から「お前もやってみるか」
家出をしていた剛には、行く当てがなかった。「お前も(売人)やってみるか」。購入を機に友人のように親しくなった売人の先輩から売る側へと誘われた。 「その人はお金も持っていて親しみやすい感じ。今までの友人は場所や食事を提供してくれるわけでなかったが、その人は違った。頼る人がいなかったんだと思う」 生活の大半を売人と共に過ごすようになった。流されるがまま、大麻の売人になったのは18歳の時。「大麻も吸えるしいいかという気持ちだった」 販売したのは「パイナップル」という商品名。1グラム3500円で仕入れて、基本的に7500円で販売した。一度に70グラムを仕入れて、大体3~4日で完売する。この「1サイクル」で約12万円の分け前を手にした。 顧客層は主に県出身者だ。見たところ30代ぐらいの人が一番多かった。下は中学生とみられる少年から、上は50代まで。若者はお年玉があるからか、正月によく売れた。 新規の客には、車内で1対1の状態で渡すことにこだわった。いわゆる「売人たたき」と呼ばれる、暴力団員らがSNS上で客を装って反社会的勢力に属さない一般の売人に近づき金を脅し取る手口を警戒した。 売上金は先輩が管理し、1日10グラムは販売するようノルマを課された。 販売方法はまず、X(旧ツイッター)の投稿でジョイントタイプの商品の購入者を集め、売人が管理する、秘匿性が高い通信アプリ「テレグラム」のチャットに誘導する。テレグラム上のダイレクトメッセージ(DM)のやりとりで渡す場所と日時を決めた。 追加料金を払えば客の希望に合わせて、ショッピングモールや人けのない路上まで車で向かい、現金と引き換えに大麻を渡した。配達の範囲は沖縄本島全域に及んだ。
職務質問で逮捕 少年院へ
逮捕されたのは、ひょんなことがきっかけだ。大麻を吸引した状態で車を運転中、対向車線の右折車を避けようとし、赤信号の交差点で一時停車した。左を見るとパトカーが信号待ちをしていた。ゆっくりと車を後進させ停止線まで戻ったが、その後に停車を求められた。 職務質問には慣れているつもりだった。だが、「分かるからね。うちらプロだよ」と車内の臭いですぐに大麻所持が疑われた。運転席のシート下には、仕入れたばかりの大麻が入ったファストフードの紙袋。すぐに見つかって押収され、その場で検査にかけられた。 「はい見て。陽性ね」。乗せられた覆面パトカーの後部座席で、横に座る警察官に手錠を掛けられた。 少年鑑別所を経て、家庭裁判所の少年審判で少年院送致が決まった。「……を願って少年院送致とします」。裁判官が何かを宣言したような言葉が耳に残っている。 少年院に来て、「後悔先に立たず」だと思った。薬物の授業を履修した際には自責の念に駆られた。「友人が薬物依存症になって壊れてしまうかもしれない。自分はそれを広めていたんだって思いました。やってしまったなって。いろんな人を不幸にしていたんだって初めて知りました」 自身が犯罪に手を染めた要因は何だと思うか。「気付けば大麻にはまってしまっていた。一番は頼れる大人がいなかったことが大きいと思います。後先考えずに楽しかったらいいやって自暴自棄だったことも」 院内では、そろばんを学び、計算力が身に付いた。プールの授業では何往復したら何メートルになるのか、すぐに計算できた。教官に頼られるくらいにまでなった。 仕事をする上で学んだのは、ただ働くのではなく目的意識を持つことが大事だということ。出院したら親族の会社で働く予定だ。夢はまだ描けないが、「周りを大切にできる大人になりたい」と誓う。