予想を超える打診に「正直びっくりしました」細貝萌(38歳)は引退後、なぜJ3クラブの社長兼GMを受け入れたのか?「俺がやるしかないって思えた」
なぜザスパへの思いが強いのか?
細貝は、なぜここまで地元への、そして生まれ育ったクラブではないザスパへの思いが強いのか。そうストレートにぶつけると、彼はこのように応じた。 「前橋育英を卒業して2005年に、浦和レッズに加入しました。ザスパ草津のことは群馬にあるサッカークラブとしてずっと知っていたし、同じタイミングでJリーグに入会したのでずっと気になっていた存在ではあったんです。前橋育英の先輩には山口素弘さん、松田直樹さんたち、凄い先輩がいっぱいいてかっこいいなって思っていたし、あこがれがありました。最後は地元に帰って、ザスパでプレーしたいという気持ちがあったなかで、地域密着の強い欧州でプレーしていると(気持ちが)年々、強くなっていきましたね。地元の子供たちに喜んでもらいたいという思いを持っていました」 欧州でプレーしていたころはオフになると地元でトレーニングを行なっている。伊勢崎市にフットサル場をオープンするなど、細貝にとって常に群馬は大切な場所だった。コロナ禍で日本がマスク不足に陥っていたとき、タイでプレーしていた彼は故郷の群馬・前橋市にマスク1万枚を寄贈している。 自分が憧れてプロを目指したように、地元の子供たちにもそういう存在でありたい。まだしっかりとプレーできるうちに戻る。タイのバンコク・ユナイテッドではコンスタントに試合に出ていて、2021年5月に退団する前後にはタイの他のクラブのオファーに断りを入れた。自ら逆オファーしたザスパの年俸よりはるかに高かったものの、骨を埋める場所としてオカネが優先ではなかった。
膵のう胞性腫瘍で手術
登録期限ギリギリとなる9月下旬での契約締結となった。ここには隠された理由がある。彼は2018年12月に体調不良を訴えて、膵のう胞性腫瘍との診断を受けた。膵菅の粘膜に腫瘍ができる命にかかわる病気であり、腹部を6カ所切る手術に踏み切っている。その後タイに渡って7kgも落ちていた体重を戻すなど急ピッチで仕上げて、3月から試合に出続けている。対外的には「体調不良」とだけアナウンスし、ザスパへの移籍を決めた当時も病気の事実はまだ公表していなかった。 「膵臓のオペをしてから2シーズンにわたって休みなくやってきた分、群馬で少しでも長くやるためには一度体をリセットして、体をつくり直したかったんです。もちろんチームにも病気のこと、自分が考えていることを伝えたうえで契約を結びました。実際、ケガはあったけど、リセットしたことは結果的に良かったなと感じています」 先にチームに加わって、その作業をやることも可能だった。でもある程度、体をつくったうえでチームに入るというのも実直な細貝らしいと言える。 「今思えば、もっと早く帰ってきてもよかったなって。2、3年早ければ、もしかしたらもっと当然、チームに貢献できたかもしれない。でも移籍にはタイミングがつきもの。結果的にはあの21年が(ザスパに行く)ラストチャンスだったことは間違いないです」
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