予想を超える打診に「正直びっくりしました」細貝萌(38歳)は引退後、なぜJ3クラブの社長兼GMを受け入れたのか?「俺がやるしかないって思えた」
ザスパ群馬をどんなクラブにしたいのか?
しかしながら選手としてザスパに貢献できた、やり切ったと思えていたら社長代行就任のオファーを受け入れていなかったかもしれない。社長という本人仰天のオファーを次のチャレンジとしてスンナリ受け入れられたのも、「タイミング」であった。 細貝は社会貢献を大切にする人でもある。 日本で難病指定されている慢性血栓塞栓性肺高血圧症(CTEPH、通称シーテフ)における支援活動に力を入れ、長らく「啓発大使」として患者支援団体などへの寄付やイベントの参加など積極的に携わってきた。地域密着、社会貢献をクラブとしてやっていくことをこれからの青写真として描いている。 将来的にザスパ群馬をどんなクラブにしたいのか? 細貝の言葉が熱を帯びる。 「社会貢献も大事だとは思いますし、何より応援したいよねっていうクラブにならなきゃいけないと思うんです。そして応援してくださるみなさんとともに成長していけるようなクラブっていうんですかね。群馬中心ではありますけど、群馬の外にもクラブの魅力を伝えていきたいし、可能性を広げていきたい。ポテンシャルは凄くあるクラブだと思うので」 5月にオープンした練習拠点のGCCザスパークはJリーグでも屈指の設備を誇る。広大な敷地には天然芝コート2面、人工芝コート1面、フットサルコート3面があり、トレーニングスペースも完備。一方で一般の方が楽しめるよう選手への食事メニューをアレンジしたものを食べることができるレストラン、カフェ、オフィシャルグッズショップが併設され、地域コミュニティの場となることを目的としている。クラブの会社組織もここにあり、社長になってもザスパークに通う日々は変わらない。
Jリーガーが社長とGMを兼ねるのは異例
Jリーガーがクラブの社長になるのはコンサドーレ札幌の野々村芳和(現Jリーグチェアマン)、セレッソ大阪の森島寛晃、レノファ山口の渡部博文と、珍しくはない時代になっている。ただGMまで兼ねるのは異例だと言っていい。 「僕はここから新しい道で、信用をつかんでいかなければなりません。クラブにとって重要な2つのポジションであることは理解していますし、結果が出なければ当然叩かれる。プレッシャーは相当ありますよ。でも、だからこそオファーをいただいてきちんと考えたときに“俺がやるしかない”って思えたんです」 生半可な気持ちで引き受けたわけではない。 現役時代からイバラの道には慣れている。常に心掛けてきた「謙虚に」を胸に刻み、ザスパの発展のために全身全霊を注ぐ覚悟はできている。 <続く>
(「サムライブルーの原材料」二宮寿朗 = 文)
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