『ノルウェイの森』は単なるあけすけな恋愛小説じゃない…自死で親しい友を失った「ピストジャム」が聞いた作者・村上春樹の“自問する声”とは(レビュー)
作家・村上春樹氏の作品の中で最も有名な小説の一つが『ノルウェイの森』だ。 国内総発行部数は、累計1000万部を超えるほどの人気作。主人公のワタナベが女性たちと体を重ねるシーンのストレートな描写に過敏に反応する向きもいるようだが、国内外から高い評価を得ている作品だ。 この作品を、本を愛する芸人グループ「第一芸人文芸部」のメンバーであるピストジャム(46)は、友人を自死で失った自身の辛い体験と重ね合わせて読んだという。 以下に、又吉直樹が編集長を務める文芸誌「第一芸人文芸部」創刊準備号から抜粋して紹介する。 *** ドイツの空港に着陸する機内で、37歳のワタナベトオルは18年前に「私を忘れないで」と言った直子のことを回想する。高校時代、ワタナベの友人で直子の彼氏だった男が突然自殺した。多感な青春期に起こったこの悲劇は二人に重くのしかかり、直子は精神を病んでいく。ワタナベは直子を愛してたが、大学で緑という奔放な女性に出会い少しずつ彼女に引かれていく……。 この物語はただの恋愛小説じゃない。あけすけな性の描写の裏に見え隠れする心と体の乖離、はたされへん思い、逃れられへん死の物語が描かれてる。 人は死に向かって生きてる。死は生の延長線上にあり、誰もが死を内包して生きてる。生きるとは、死ぬとは、いったいどういうことなのか。 直子の言葉は、肉体を失ってもワタナベの中で生き続けたいと願う最後の生への執着やった。冒頭の回想は、いまも直子がワタナベとともに生きてる証。 じゃ、完全な死なんてあんのか? それは忘却という名の濃密な暗黒。草原と雑木林の境い目にある深い井戸の底。直子はそれを恐れてた。
「なんで?」友人を失ったピストジャムの思い
大学時代、近い友人を自殺で亡くした。仲間の数人は彼の実家や墓参りに行ったりしたが、僕はそれに参加しなかった。認めたくなかったとか、受け入れられなかったとかじゃない。単純に、悲しすぎた。 なんで? という解決しようのない思い。彼は僕と同じ学生寮に住んでて、部屋にも何度か遊びに来た。好きなバンドのCDを聴いたり、ギターを弾いて聴かせてくれたり、校舎で顔を合わせて一緒に帰ったり、そのまま飲みに行ったりもした。いまでも、彼がコンビニで買った安ワインを片手に歩いてる姿が目に浮かぶ。 その後も、僕の身のまわりでは友人や親戚同然のつきあいをしてた夫婦が自ら命を絶つ事件が続いた。そのたび、深く暗い悲しみと「なんで?」という胸を締めつける痛みに苦しめられてきた。行き場を失った思いは、なんで気づいてあげられへんかってん、と自分を責め、ただただ無力さに打ちひしがれた。 そんなぼろぼろの状態なのに、僕はまた朝を迎え、飯を食い、バイトし、舞台に立ち、酒を飲み、恋人とすごし、また朝を迎える。心にできた大きなしこりなんて関係なく僕の心臓は無常にも動き続け、罪つくりな日常をくり返した。