クエスト感がスゴイ灯台ベスト5!秘境度、灯台のフォルム、海の風景のどれもがすばらしい
■ 【濤波岐埼灯台】荒々しい海とシャープな姿の対比が美しい おだやかなフォルムと風景の小佐木島灯台に対し、雄大な海と端正な姿がきれいなのが、網地島(あじしま)にある濤波岐埼灯台(どうみきさきとうだい、宮城県石巻市)です。 通常網地島に行くには、石巻、田代島、網地島、鮎川(牡鹿半島)を結ぶ定期船「網地島ライン」(1日3~5往復)を使います。ただこのときは時間の都合が悪かったので、鮎川港から「海上タクシー」をチャーターして網地島の長渡(ふたわたし)港に向かいました。 港からしばらくは、長渡の集落の中を歩きます。 しばらくすると家並みはなくなり、灯台へ行くだけの一本道になります。 木の間に空と赤い色が見えてきました。灯台クエストで一番ワクワクする瞬間です。 濤波岐埼灯台は、中央がくびれているきりっとしたフォルムと、上部に開いた四角い穴がモダンでステキです。灯台の向こう側は「岬の突端の断崖」で、さえぎるものがなにもない、広大な太平洋が広がっています。 灯塔を赤白や黒白に塗り分けるのは、積雪時に認識しやすくするためで、北海道に多く見られます。ここは、霧の発生時を考慮した結果らしいです。 濤波岐埼灯台は「どうみきさき」と読むのですが、地名としては一般的に「ドワメキ岬」と呼ばれています。いくつかの資料には、「ドワメキ」とは波が岸に打ち付けるときの音だと書いてあります。 この日は穏やかな天気でしたが、荒れた天気のときはそれこそ激しい波が繰り返し打ち寄せているのでしょう。「ドワメキ」の名前にふさわしい風景でした。 もっと詳しくは 猫島の隣、どわめく波が打ち寄せる岬に、きりっと立つ濤波岐埼灯台
■ 【紀伊日ノ御埼灯台】空襲を受けた初代跡地がいまでも森の中にひっそりと 紀伊日ノ御埼灯台(きいひのみさきとうだい、和歌山県日高町)は、2017年3月に建てられた、新しくてピカピカの灯台です。八角形の灯塔は、石造を思わせる模様が刻まれていて、シンプルな形ながらもしゃれた雰囲気を持っています。 さらに紀伊水道が目の前に広がっていて、風景もバツグンです。 ただ、自動車道のすぐ脇にあるので、秘境感はありません。クエスト感が味わえるのは、これではなく初代の灯台跡です。 紀伊日ノ御埼灯台は初代、2代目、3代目と場所を変えながら建て直された、苦難の歴史を持つ灯台なのです。 3代目灯台の前の道を少し進むと、閉所された防衛省施設のところで行き止まりになります。ここに初代灯台跡への入口があります。 案内板には初代灯台の歴史が書いてあります。1945年(昭和20年)に2度の空襲を受け、炎上崩壊したそうです。 森の中の下り道は、傾斜は急ですが、まあまあはっきりしています。1カ所だけ、右か左か迷うところがありますが。 10分ぐらいで、レンガ塀に囲まれた初代灯台跡に到着しました。 敷地は割と広く、灯台だけでなく、官舎(退息所と呼ぶ)もここにあったと思われます。初代が初めて点灯したのは1895年(明治28年)。そのころは灯台守が灯台近くの官舎に住んで、24時間灯台の管理作業を行っていたのです。 炎上したという灯台の残骸のようなものは見当たりませんが、瓦や陶器の破片はかなり散らばっていました。 灯台が崩壊した1945年から80年近くが経ちました。木の陰になっているせいか、草がほとんど生えていませんが、陰湿な感じはありません。それほど苦もなく歩き回れて、当時の様子が少しうかがえます。 跡形もなく撤去されるのでもなく、森や草に飲み込まれてしまうのでもなく、ゆっくりと時間を刻んでいる、珍しい場所だと思います。 ちなみに2代目灯台は、現在の3代目灯台よりさらに少し高いところにありました。ところが近年地すべりが起きて、近くの県道が崩れ、その上にあった2代目灯台の敷地も危険な状態になってしまったのです。 敷地に問題が起こったため、別の場所に新たに3代目灯台を作らざるを得なかったわけです。 初代跡、2代目跡、3代目と巡ることによって、灯台の深い歴史とクエスト感を味わうことができるでしょう。 もっと詳しくは 空襲で炎上、地すべり…2回も移転を余儀なくされた紀伊日ノ御埼灯台が受けた災難