我慢を乗り越えて。日本代表・藤原忍は「求められていることをしっかりやる」
藤原忍は我慢してきた。 身長171センチ、体重76キロの25歳。初招集されたラグビー日本代表で、初めてテストマッチ(代表戦)を味わったのは6月22日だ。東京・国立競技場でイングランド代表戦に55分から出場した。17-52と落とすも、好ジャッカルで気を吐いた。 我慢したのはその翌週からだ。肩を痛め、キャンプの練習に加われなかった。 グラウンドに戻った7月上旬の時点で、他の仲間はJAPAN XVとして対マオリ・オールブラックス2連戦を消化していた。 13日、宮城・ユアテックスタジアム仙台で迎えたのはジョージア代表戦。藤原は戦列に復帰しながら、メンバーに入れなかった。23-25での敗戦を見届けた。 いまの体制が始まった段階で3人、その後の追加招集を含めたら計4人というSHの群れで揉まれている。 故障で芝に立てなかった我慢の日々を、こう振り返る。 「悔しかったですし、(ゲームに)出たい気持ちありましたけど、無理をしてそのパフォーマンスが悪かったらチームのためにもなりませんし、自分の評価もマイナスになっちゃうなと思って。怪我を治すことに集中しつつ、試合を見ながら『ここは自分だったらどうしようかな』と考えながら過ごしていました」 再び出番をもらったのは7月21日。北海道・札幌ドームでのイタリア代表戦に、7-24とビハインドのハーフタイム明けから登場した。流れを変えるべく動いた。 14-27と13点差を追っていた48分以降の攻めで、スタンドに期待感を与えた。同じ方向にフェーズを重ねるチーム方針のもと、地面の球を拾い上げては持ち出したり、さばいたり。走者を前に出すほどペナルティーキックをもらえて、しばらく波状攻撃を連ねられた。 「(中盤で)プレッシャーをかけながらアタックしていく。エディーさんにも、スピードでどんどん行ってくれと言われていました」 14-30となっていた59分以降には、チーム間の蹴り合いで優位に立った。キックのラリーから中盤でマイボールを得て、好機を探った。前半にさく裂した、相手のカウンターアタックの威力を最小限にとどめようとした。 「そこ(向こうの好走者)に簡単にボールを渡すと流れを持っていかれる。(奥側のスペースに)蹴り込んで、(攻めに)来てくれたらディフェンスを我慢して、もう一回、蹴らせよう…そう、10番(SOの味方)と話していました」 いくらスコアを離されても、負けん気は失わなかった。 14-35とされていた75分頃、接点からボールを拾い上げ、前方に仕掛け防御を引き寄せた。パス。後ろから駆け込んできたNO8のファウルア・マキシへ繋いだ。インゴールを陥れた。 結局、テレビジョン・マッチ・オフィシャルでマキシの落球が見つかり無得点に終わるも、天理大を経てクボタスピアーズ船橋・東京ベイに加わった者同士のコンビネーションでトライをもぎ取れそうだった。藤原は述懐する。 「ルアさんが後ろから声をかけてくれていたので、自信を持って…」 最後は14-42と大敗し、チームは一時解散。8月上旬に仕切り直し、下旬からのパシフィック・ネーションズカップを見据える。 7月までのシリーズでもっとも多くのプレータイムを得たSHの齋藤直人は、来季からフランス・トップ14のトゥールーズへ移籍。エディー・ジョーンズヘッドコーチの説明によれば、次の代表活動には絡まない。 実戦で力を示す機会を、藤原は欲している。 「求められていることをしっかりやる。その中で、強みのアタッキングを見せられたら」