沖縄戦の陸軍拠点、首里城地下「第32軍司令部壕」内部の写真を公開
先の大戦末期、首里城(那覇市)の地下約30メートルに構築された「第32軍司令部壕」の内部を撮影した写真が22日、公開された。5つある坑道のうち第2坑道と第3坑道を報道各社の代表が撮影した。壕内の報道公開は令和2年以来、4年ぶり。司令部壕は一般の立ち入りが禁止されており、内部を知る貴重な手がかりとなりそうだ。 【写真】第3坑道南側のエンジニアリングトンネル入り口に並べられたビール瓶など 第32軍司令部壕は先の大戦末期、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦で旧日本陸軍の拠点だった。総延長約1キロと推定され、壕内には参謀室や将校室、電信室、救助室などがあったとされる。 写真は4月25日と今月12日に撮影された。公開された2つの坑道は崩落が少ない計約110メートルの区間。坑道は幅1・3~2・8メートル前後、高さ1・2~2・8メートル前後で、平成5~7年ごろに鉄骨の支柱(支保工)で補強された区間もあるが、劣化が進んでいた。 壕内にはつるはしの跡があったほか、現在のサッポロビールやアサヒビールの前身となる大日本麦酒のビール瓶なども残っており、往時の様子をうかがうことができる。 司令部壕は一部が土砂に埋まるなどして明らかになっていない部分も少なくない。 沖縄県は司令部壕の保存公開に向け、ボーリング調査や試掘を実施。昨年度の調査では、中枢部に近い第1坑道入り口の詳細な位置を特定し、第5坑道の入り口付近では司令部構築時に使用されたとみられるトロッコのレールも発見されている。(大竹直樹)