毎年“400軒”以上減り続ける豆腐屋…それでも業界の未来が暗くはないと言える理由
豆腐屋減少で、業界の未来は暗いのか
近頃、代替肉だ、大豆ミートだ、プロテインだと、植物性タンパク質への関心が急激に高まっているが、日本で長らく精進料理の主役を張ってきた、豆腐の現状はどうなっているのだろうか? 豆腐と言えば、町の豆腐屋が高齢化で減少している、という話題が時折報道される。寂しく思う一方、果たして町の豆腐屋が減ることは問題なのか、という疑問もわく。 【マンガ】カナダ人が「日本のトンカツ」を食べて唖然…震えるほど感動して発した一言 また、和食があまり食べられなくなり、和の食材の消費も半世紀余り減少傾向が続くが、豆腐はどうなのか。豆腐の今と未来は明るいのか、暗いのか? 今回は豆腐の現代史と今を探るべく、豆腐メーカーが加盟する日本豆腐協会へ取材に行ってきた。 今、豆腐でホットな話題と言えば、2020年11月に発売され、年間約1000万本も売れる大ヒット商品、豆腐バーである。この片手で食べられる固い豆腐を開発したアサヒコは、実は半世紀の間にくり返し、革新的な豆腐商品を開発し業界をリードしてきた。 代表的なヒット商品は3つあり、最初が同社誕生のきっかけになった充填豆腐、続いて150グラム程度の小ぶりの豆腐を2連つなげた豆腐、そして豆腐バーである。 日本豆腐協会の町田秀信専務理事は、同社誕生秘話を次のように話す。 「昭和38、39年頃から、スーパーマーケットが各地に誕生し、豆腐も扱おうとしたのですが、町の豆腐屋から仕入れると品質にばらつきが生じる。広域で大量販売できる豆腐の開発を、と西友さんがセゾングループ内の西武化学工業肥料部と一緒に作った会社がアサヒコの前身、朝日食品です。1972年、場所は埼玉県行田市です。そこで開発したのが充填豆腐でした」
充填豆腐の誕生と拡大
充填豆腐とは、袋に直接豆乳と凝固剤を注入して袋の口を結び、加熱して固めて作る。一般的なパックに入ったカット豆腐の賞味期限は当時、2~3日だったが、充填豆腐なら1週間持った。それは、店側にとってもロスが出にくいメリットがあった。 『豆腐の文化史』(原田信男、岩波新書)によれば、この頃には豆腐を大量生産するため、グラインダー(豆絞り機)や自動凝固成型機などの機械化が進んでいた。しかし充填豆腐を作るには、カット豆腐とは異なる凝固剤が必要だったため、異なる機械の開発が必要だった。 西友の充填豆腐の人気が出ると、他のスーパーも参入しようと試みるがうまくいかず、朝日食品が技術を提供する形で2~3年のうちに各地へ広がった。スーパーの誕生は、豆腐の製造元を個人商店から、大量生産体制を持つメーカーへ発展することを促したのである。 カット豆腐で使われていた凝固剤は、塩化マグネシウム製剤、いわゆるニガリである。ところが、大きな成型機に入れると固まり方にムラができるため、頻繁に混ぜる必要が出てくる。混ぜる作業がやりにくい充填豆腐の製造で使われたのは、グルコノ・デルタ・ラクトン(GDL)という植物由来の化合物。 GDLの影響で、若干酸味があることから充填豆腐が一時敬遠され、凝固剤メーカーがすぐに固まらない塩化マグネシウム製剤の開発に成功したのが平成初期。ちなみに京都の豆腐店では、中世初期に豆腐が日本に入ってきた当時と同じ、硫酸カルシウムを凝固剤に使うことが多い。 「味が非常に淡白になるので、湯豆腐のタレの味を邪魔しないんです。塩化マグネシウム製剤を使った豆腐は甘くなります」と町田さん。 その後、塩化マグネシウムに油脂を少し加えたモノが増えていく。滑らかになって加工しやすく、味は従来の塩化マグネシウム製剤を使った豆腐より甘くなる。 充填豆腐の世界で2000年代に大ヒットしたのが、京都府南丹市で創業した男前豆腐店の商品。袋詰めではなく、カット豆腐と同様のプラスチックパックに入れた「男前豆腐」を2003年に、細長い容器に入れた「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」を2004年に発売し、東京でも売られたことから、ネーミングの奇抜さとパッケージの斬新さ、そして濃厚な豆乳を使った味でも話題をさらった。 従来の袋入りの充填豆腐は、出す際に形が崩れやすいため、現在では福岡や熊本以外では、ほとんど販売されていない。しかし、男前豆腐のようにプラスチックパックに入っていれば使いやすいこともヒットの要因だっだだろう。