ベニシアは「2、3か月の命」と医師に告げられ決意…僕が知らなかった、病室で訴え続けていた言葉
「仕事なんかやめたらいい」
「これからベニシアさんをどうしたいと思っていますか?」と先生。僕は混乱したまま頭の中が整理できず、ちゃんと返事ができません。 「今日のように来ることができるのなら、明日も3時にこの駐車場に来てください」と先生は言いました。それ以上は話を詰めずに、また来る約束をしてその日は別れました。 それから次の日も、その次の日も僕は駐車場へ通いました。湊先生は「ベニシアを家に連れて帰るように」と言います。 「どこかいい施設を紹介してもらえませんか。ベニシアを家に連れて帰ったら、付きっきりの介護になるでしょう。そうなると僕は仕事ができなくなります」 「仕事なんかやめたらいいんです」と先生は言い切りました。考え方が鋭く、ハッキリと人に意見する女性だと思いました。 さらに2~3日が過ぎて、診察室へ来るようにと僕は湊先生に呼ばれました。ベニシアの脳のMRI画像をパソコンで開いて脳の状態を説明してくれました。 「これは2018年8月、そして、こちらは2021年8月に京大病院で撮った後頭葉の写真です。脳細胞の厚さが22ミリから3年で7ミリに縮んでいます。おそらく今はもっと縮んでいるでしょう」 この時の湊先生の話を聞くまで、僕はあまりベニシアの状態を理解できていなかったと思います。 「おそらくあと2~3か月の命と思われます。来週、脳神経内科の専門医が来ますので、その先生から詳しいことを聞いて、今後の方針を決めてください」と湊先生。 ベニシアは長くない。仕事なんかやっている時じゃない。もう仕事はやめよう。ベニシアを大原へ連れて帰ろう。 僕はそう決めました。
退院日決まる
脳神経内科の専門医の診察を終えた日に「ベニシアを大原へ連れて帰ります」と僕は湊先生に伝えました。 バプテスト病院のスタッフが、我が家に訪問診療に来てくれるのだろうと期待していたら、僕たちの家がある大原は範囲外なのでダメと言われ、ガックリしました。ネットで調べてみると、以前、ベニシアの友人が「施設入所を考えるのなら、訪問診療という手もあるよ」と薦めてくれていた医療機関のホームページを見つけました。迷わずにその「渡辺西賀茂診療所」に電話をかけると、すぐにOKとなりました。 バプテスト病院の退院は9月28日と決まりました。介護のトレーニングをするということで、僕は病室への立ち入りを許されました。散歩の後は、介護オムツの交換や電動吸引器を使って痰(たん)を取る練習をしました。これから自宅での介護が始まるのです。