【没後10年・菅原文太さん】八名信夫が振り返る“文ちゃん”の思い出 「陰口を叩かれても我関せず。主役なのに物静か」
菅原文太の訃報から10年が過ぎた。『仁義なき戦い』などのヤクザ映画で人々を魅了した昭和の名優について、『仁義なき戦い 頂上作戦』などで共演した八名信夫が振り返った。 【写真】映画「仁義なき戦い 頂上作戦」の製作発表。深作欣二監督を囲む、菅原文太や梅宮辰夫。松方弘樹も
* * * 文ちゃんは新東宝にいた頃、寺島達夫や吉田輝雄らがいた「ハンサムタワーズ」のうちの一人だった。ファッションモデルをやっていた時期もあった。だから東映に移籍した初めの頃には、「気取りやがって、あの野郎」なんて陰口を叩かれていたりもした。 でも「我関せず」というのが文ちゃんだったな。「なんとでも言えや」と。そういう人間だった。多くの役者が使ってもらいたいから、演出家にぺったん、ぺったん、媚びていたけど、文ちゃんにはそういうところがまったくなかった。 オヤジさん(鶴田浩二)は撮影所のみんなを引き連れてワーワーとよく飲みに行ったけど、俺は文ちゃんとは一緒に飲みに行ったことがない。お好み焼き屋に行って、「ダレソレは生意気な奴やな」なんて噂話なんかはしたけどね(笑)。東映の食堂の隅っこで文ちゃんが一人、ポツンと食事をしていた記憶がある。主役なのに物静かで、どこにいるのかわからないんだ。 文ちゃんは俺より2歳年上で、1933年生まれ。終戦直後のどさくさの中で育ってきた人間だな、という匂いがどこかあった。貧しさの中でどうやって生き抜くかを勉強してきたんだろうな。誰にでもいい顔をして、ハイハイと言っていたら生きていけないことを知っているなと感じた。 『仁義なき戦い』シリーズをはじめ、サクさん(深作欣二監督)の映画で共演した。サクさんはセットに入ってきて、現場の空気が終戦直後の荒々とした雰囲気になっていないと、「ほんまもんの酒、持ってこい!」と叫んで、みんなに飲ませてから撮影を始めた。サクさんが求めるそういう空気に、文ちゃんは上手くはまったんじゃないかな。 サクさんは、役者がNGを出すと嬉々とした顔つきになって、ハプニングが起こると「(カメラを)もっと回せ、回せ、回せ!」と叫んで面白がるんだよ。それを調理して使う。文ちゃんは台詞を細かく気にする役者じゃなかったから、サクさんの勢いに乗っかっていったんだね。NGを出しても平気だってわかれば、自由に演技ができるからな。だから文ちゃんはサクさんの映画で成功したんだと思うよ。 【プロフィール】 八名信夫(やな・のぶお)/1935年生まれ、岡山県出身。『仁義なき戦い』シリーズなど出演作多数。著書『悪役は口に苦し』(小学館)が発売中。 ※週刊ポスト2024年12月6・13日号