「ずっと通っているから本当にショック」…。突如閉店を発表した早稲田の老舗町中華「メルシー」。しかし、店主に取材すると…明かされた閉店の"真相"とは?
親戚に中華をやっている人がいて、そこで学び、ラーメンを出すようになりました。1970年に今の場所に移転しましたが、その前はカツ丼やかき氷までありました」(小林さん)
移転後はメニューを絞ったが、喫茶メニューのいくつかは残して現在の形になった。一時期はコーヒーも出していた頃もあったという。
筆者は1993年に早稲田実業(当時は早稲田鶴巻町、現在は国分寺市)に入学し、当時から「メルシー」に通っていた。当時ラーメンは350円だった。
「早実があった頃は学生さんも多く繁盛していましたが、早実が移転した頃から、早稲田には新しいラーメン屋さんが増えていき、学生の客足が減っていきました。
■「できれば復活して1年でも長くやりたい」
その頃からパートさんを1人減らして続けてきました。
弟子入りしたいという人も2、3人来ましたが、当時は人も足りていたこともあり断っていたんです」(小林さん)
そのまま弟子や後継者のいないまま「メルシー」は今日まで営業を続けてきた。周りの町中華が次々と閉店する中、「メルシー」は二代目が継いでまだまだ安泰かと思っていたが、現実はそうではなかった。
「後継者については考えたことはありません。自分の代で終わりかなとはぼんやり考えていました。
年金だけでは生活できないので、できれば復活して1年でも長くやりたい気持ちはあります。営業時間を短くするとか、休業日を増やすなどして何とか続けられないかは考えていきたいです」(小林さん)
■「休業と閉店ではこんなに違うものか」
閉店が発表になり、本当に多くのファンやメディアから連絡が来た。
先代が病気で入院した時も、小林さんが体調の悪い時も休業せずにきた「メルシー」の突然の閉店のニュースにファンや常連たちは驚きを隠せない。
取材中にも何本も電話が鳴り、常連客が次々店に訪れ、マスターの体調を心配する。「私の体調は大丈夫ですよ」と笑いながら答える小林さん。
「休業と閉店ではこんなに違うものかと驚きました。