阿川佐和子「落月の朝」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。月好きの阿川さん。スーパームーンの最大サイズをスマホに収めようとした際に、とある事件が起きたそうで――。 ※本記事は『婦人公論』2023年12月号に掲載されたものです * * * * * * * いつの頃からか、満月にさまざまな名称がつくようになった。スーパームーン。ブルームーン。ピンクムーン。それとは別に、昔ながらの「中秋の名月」という和名もある。最近は名前のついた満月のことがさかんにニュースで報じられる。 「今日はスーパームーンです。一年でいちばん大きな満月をどうかお見逃しなく」 月好きの私としては気が気ではなくなる。夕刻あたりから空を見上げるたびに月を探す。ところがなぜかすぐには見つからない。ビルに囲まれた都会に住んでいるせいかもしれない。見えないなあ。悲観していると、 「あ、お月様!」 忽然と空に現れる。今までどこにいたのよ。
太陽ならこんなことはない。 日の出の時刻を見計らって東の空を眺めれば、暗い夜空がしだいに白んで、じわじわと朝焼けが広がって、そしてドーンと、まさに天下のスターが舞台に登場したかのごとく、まん丸太陽が顔を出す。太陽を見落とすことはまずない。寝坊しないかぎり。 日中とて、雨雲に覆われた日は確認しにくいが、だいたいどこらへんにいるかの予測はつく。そして夕日も同様。 季節によって少し位置は変わるものの、西の方角を見渡せば、黄色く輝いていた太陽がだんだんオレンジ色に変わり始め、その色を周囲に発散させつつ高度をゆっくり下げ、空一面が赤く染まる頃、巨大化した太陽はギラギラと、静かに沈んで、おやすみなさい、また明日。 日没の瞬間を見落とすことはあっても、その場所がわからないなんてことはない。これほどに太陽の動きは馴染み深い日々の自然現象であるにもかかわらず、月の動きは捉えにくい。 恥ずかしながら私は、月というものは太陽が沈んだら、交代して東の空から上がるものだと長らく信じてきた。ならば昼の月はなんなんだ? と問われても考えないことにしていた。が、急に気になってきた。 というのも、新たな住処に移って以来、月の姿を見かけない日が増えたからである。周囲を高いビルに囲まれたマンションの上階だ。絶好の眺望環境とはいえないが、バルコニーから月を拝むことぐらいはできるはず。