息づく「一味和合」の精神 叡尊上人がお茶振る舞う、西大寺八幡神社 社寺三昧
全国的に八幡神をまつる八幡神社は数多いが、奈良県内でも目立ち、それぞれ魅力がある。奈良市の西大寺八幡神社は広大な旧西大寺域に鎮座し、同寺鎮守社として千数百年前からの歴史を刻むという古社だ。 西大寺は奈良時代後半、聖武天皇の娘、称徳天皇が平城京右京(西側)に創建し、薬師・弥勒(みろく)両金堂や東西両塔などが並ぶ壮大な伽藍(がらん)を誇った。現在は縮小したが、住宅開発に伴う発掘調査により当時の隆盛が明らかになりつつある。 西大寺の南門付近からまっすぐ西へと延びる道を歩いていくと、間もなく住宅街の中の一の鳥居前に着いた。二の鳥居の奥は鬱蒼(うっそう)とした森。進むと、鳥の囀(さえず)りが清々しい境内に檜皮葺(ひわだぶ)き、流造(ながれづくり)の本殿(重要文化財、室町時代)が美しい姿を見せ、八幡神として知られる誉田別命(ほんだわけのみこと)など3神が祭られている。 現在の西大寺と言えば、特大の茶碗で茶を回し飲みする「大茶盛式」が名物行事だが、そのルーツは実はこの神社にある。 鎌倉時代の延応元(1239)年1月16日、西大寺を中興した叡尊(えいそん)上人が八幡神社に献茶した際に境内で人々に茶を振る舞った。当時高価だったお茶の民衆への施しが、特大の茶碗で茶を分け合うことで「一味和合(いちみわごう)」(ともに味わうことで和み合う)の精神を伝える大茶盛式につながったという。 叡尊上人は現在の大和郡山市に生まれたが、幼くして母と死別し、出家。戒律の復興を志して荒れた西大寺を再興するとともに、貧苦にあえぐ人たちの救済活動を展開した名僧で、弟子にはハンセン病患者らを救った忍性(にんしょう)もいる。 八幡神社では令和3年、寺や氏子らによって途絶えていた献茶式が約150年ぶりに復活。叡尊の心に思いをはせる機会となった。氏子らはこれまで愛宕(あたご)詣りなどの行事や清掃を続けており、中村真一宮司は「地域の人らがしっかりと守っていることにご神徳があらわれています」と話す。 寺と地域を守護してきた静かで清らかなお社。ここで庶民にお茶が振る舞われた精神がさらに後世へと伝えられていく。(岩口利一)
◇西大寺八幡神社 奈良市西大寺芝町2の10。近鉄大和西大寺駅から徒歩約10分。「歴史の道」上に位置する。