【石井館長連載#4】RIZIN榊原さんの“勝因”はさいたまスーパーアリーナにこだわったこと
【石井館長が明かす年末格闘技の舞台裏(4)】大みそかの格闘技といえば、忘れてはいけないのが会場のさいたまスーパーアリーナ(SA)ですよね。デザインが良くて使いやすく、場所がいい。埼玉県自体の人口が多い上に東京はもちろん、千葉や神奈川からもアクセスがいいでしょ。 さいたまSAで握手を交わす石井館長(右)と猪木さん(01年大みそか) 実は今のRIZINが、このさいたまSAで毎年大みそかに興行を行うようになったのも2001年がきっかけなんです。この連載の第1回にお話しした通り、01年の大みそか格闘技イベント「INOKI BOM―BA―YE2001」はTBS主催で運営は僕ら「K―1」から「DSE」に委託する形で行われました。 だから会場を借りるのもDSEを窓口にしました。その時、彼らは自分たち「DSE」の名前でさいたまSAを借りました。主催はTBSでお金はK―1が出したけど名義はDSE。これが後々に効いてきます。03年も、さいたまSAを使えたのはDSEでした。 当時、僕ら(K―1)もTBSと一緒に、さいたまSAに使わせてもらえないか話をしに行きましたよ。だけど「前に借りた時の名前がDSEだからダメ」の一点張り。だから「K―1」はこの年、ナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)でイベントを行うことになりました。 それだけ苦労して取ったから榊原(信行CEO)さんたちはその後さいたまSAを手放さなかったんです。毎年大みそかは自分たちでイベントやったり、よそに貸したりして手放さないで権利を死守。それが今につながった。僕が思うに、RIZIN…というか、榊原さんがさいたまSAにこだわったのが、勝因の一つだと思います。今、年末に何かやろうとしても箱がない。つまり、TBSを相手にさいたまSAを取った榊原さんの“勝ち”なんです。 これからも年末の格闘技はみんなに力と勇気と元気を与えるようなものであってほしいです。「厳しい日本だけど頑張っていこうぜ!」みたいな。猪木さんもそういうコンセプトでスタートしたわけですから。 プロモーターはみんな、ファンの人たちに夢を見せたいんです。ただ仕事なので、03年のような“戦い”になることもあります。それは仕方がないんですよ。自分たちを守るためにいろんな武器を使って勝負するわけだから。だけど、目標は光り輝いているものでないとダメだよ。そこだけはみんな忘れないでほしい。 あと最後にRIZINへ“注文”させてください。安い席を設けて、お金がない人も見に行けるようにしてほしい。高い席は500万でも1000万でもいい。夢がある。でも後ろに5000円くらいの席を設置し、お金持ちが全体をカバーするシステムを考えてほしい。年寄りの小言だと思って聞いてくれたらうれしいです。 (終わり)
石井和義