4ヶ月に及ぶアメリカ・ツアーを成功させた『ブギウギ』モデル・シヅ子と服部良一。ハワイでも日系人から「ホンマによう言わんわ」と声をかけられるほどの人気に
◆二重、三重の喜び 渡米前、3月17日から19日にかけて、大阪・朝日会館で「アメリカ博覧会記念公演」が開催された。 ここで服部は念願のシンフォニック・ジャズ「アメリカ人の日本見物」を作曲・指揮をした。 NHKラジオ「世界の音楽」で書いたモチーフをシンフォニック・ジャズに発展させたものである。 服部は、戦前、紙恭輔が指揮したジョージ・ガーシュインのシンフォニック・ジャズ「ラプソディ・イン・ブルー」に憧れ、いつかはオリジナルを作曲して演奏したいと願っていたので、この日、オリジナル曲と同時に「ラプソディ・イン・ブルー」を指揮できたことは、二重、三重の喜びがあったと自伝に書いている。 シヅ子と服部の渡米直前、美空ひばりと川田晴久がホノルルで公演を行っている。 第一〇〇歩兵大隊の記念塔建設基金チャリティ公演である。 しかも、サンフランシスコ、ロサンゼルスでも、シヅ子よりも先に公演予定だった。 直前になって、ひばりの渡米を知った服部は、ひばり側に「服部作品を歌わないように」との通知を、日本音楽著作権協会を通じて出した。笠置たちも同じ会場の公演である。 先にひばりに笠置の曲を唄われたら、観客が戸惑うとの判断である。これは当然のことである。 またもやその話に尾鰭がついて、シヅ子とひばりの確執がマスコミを賑わせたが、翌年2月10日、NHKラジオ「歌の明星」で、二人が共演することで和解が報じられた。
◆アロハ・ブギ さて、服部とシヅ子のアメリカ行きは、6月から10月まで4ヶ月という長い旅となった。 飛行機が途中のウェーキ島に着陸した時に、ハワイの歌手による海賊盤「銀座カンカン娘」が流れており、ハワイ本土でも大流行していた。 ホノルルで服部とシヅ子は、『オーケストラの少女』(37年)のプロデューサーで、ハリウッドの大立者、ジョー・パスタナックに紹介された。 そこで新作映画で「銀座カンカン娘」か「珊瑚礁の彼方に」のいずれかを使用したいと考えていると聞いた。 もしも採用されたら、服部は世界マーケットで勝負ができると期待したが、日本語歌詞がネックとなり実現しなかった。 ホノルル国際劇場公演では、音楽の勉強のために故郷に帰国していた灰田晴彦がスチール・ギターを弾いて、晴彦作曲の「鈴懸の径」を演奏する景を用意した。 その頃、ハワイでも「買物ブギー」が流行していて、道ゆく日系人が服部やシヅ子に「おっさん、おっさん」「わて、ホンマによう言わんわ」と声をかけてきたという。 帰国後、服部はハワイを題材にした「アロハ・ブギ」(作詞・尾崎無音)を作った。 ハワイアン・スタイルのブギで、リズムもさることながらエキゾチックでムーディなメロディが際立っていた。 2013年、サクラメントでのひばりのライブ音源が発見されてCD化された。 ひばりは「ヘイヘイブギー」と「コペカチータ」を唄っていたのである。これも当然のことだろう。 物真似ではなく12歳のひばりの解釈で、服部ソングを唄っている。 笠置シヅ子とは違うスタイル、ぼくたちが知っているひばりの歌唱がすでにある。 服部もシヅ子も、この資質を見抜いていたからこそ、ひばりにはオリジナル曲で勝負して欲しいと思っていたのだろう。 ※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。
佐藤利明
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