4ヶ月に及ぶアメリカ・ツアーを成功させた『ブギウギ』モデル・シヅ子と服部良一。ハワイでも日系人から「ホンマによう言わんわ」と声をかけられるほどの人気に
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「シヅ子のファンは、戦争で夫を亡くし、恋人を失い、子供を抱えて生きていくために『夜の女』となった女性たちも多かった」そうで――。 【写真】「音楽の力ってすごい、と感じるようになった」と話す趣里さん * * * * * * * ◆「夜の女」となった女性たちに支持される 服部良一と笠置シヅ子は、1950(昭和25)年6月16日から4ヶ月、ハワイ経由で渡米、ハワイ諸島、ロサンゼルス、サンフランシスコ、オークランドでコンサートを開催することになった。 それに先立ち、有楽町・日劇では6月6日初日で「ブギ海を渡る」八景(作・演出・山本紫朗)公演が行われ、シヅ子がステージに立った。 その最終日の12日夜、有楽町・日劇で「服部良一、笠置シヅ子 渡米歓送ショウ」公演が開催された。 新聞によれば三千数百名が駆けつけた。 そのなかには「笠置を姉と慕い美しい友情で結ばれている有楽町はじめ上野、新宿、池袋等のナイト・エンジェル三百名」たちもいた。 シヅ子のファンは、戦争で夫を亡くし、恋人を失い、子供を抱えて生きていくために「夜の女」となった女性たちも多かった。 菊池章子の「星の流れに」の題材となった女性たちである。 「東京ブギウギ」でブレイクした時、シヅ子を支えたのは彼女たちだった。 シヅ子もまた彼女たちの境遇に自身を重ねて、その苦労に共感して、リーダー格である「ラクチョウのお米姐さん」たちとの交流を続けていた。
◆「日系人慰問」公演 さて、服部と笠置、そして服部の妹・服部富子、女優・宮川玲子らが、松尾興行社長・松尾國三のマネージメントで、アメリカでの「日系人慰問」公演することになったのだ。 この頃、日本の芸能人のアメリカ訪問が相次いだのは、進駐軍の意向を反映。 かつての敵国であるアメリカで日本のエンタティナーが、ステージに立ち、ハリウッド・スターと交流する姿が、新聞雑誌に掲載されることで「日米文化交流」を印象付けた。 服部にしてみれば、若い頃から憧れ、目指してきた本場アメリカのショウビジネスを肌で感じるまたとないチャンスである。 「東京ブギウギ」に始まり「買物ブギー」など、空前のブギウギ・ブームを生み出した服部のサウンドは、4ヶ月に及ぶアメリカ・ツアーの後、大きく変わってゆく。
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