「廃業と隣り合わせ」から抜け出すために 伊豆大島の製油所が椿油を核に描く観光再生策
家に引きこもっていた日々
高田さんは元々家業に興味がなく、高校卒業後に島を出ました。インテリアに興味があり、内装大工として6年勤めました。 しかし、高田さんは母親が亡くなったのをきっかけに人生に悩み始め、仕事を辞めたものの、転職先、生活拠点など気持ちの整理がつかず、家に引きこもってしまいます。友人に勧められ、2000年に帰郷。帰郷後も1年ほど何もしない日々でしたが、先輩から大工仕事のアルバイトを紹介され、徐々に社会復帰しました。 「家業は店番や製造を手伝う程度でしたが、お客様の注文を受けた時にお礼などを頂きました。前職ではお客様に直接会うことはなかったため、お金を払ってもらっているにもかかわらず、お礼を言ってもらえることに、家業の素晴らしさと責任を認識しました」 伊豆大島へ移住した妻・直美さん(52)との結婚を機に、高田さんは2004年、家業に本腰を入れ始めました。
「TSUBAKI」効果が追い風に
職人作業が好きなこともあり、椿油づくりには苦労しませんでした。より質の高い椿油を作るため、高田さんが椿の実を選別するようになりました。 そして2006年、資生堂のシャンプー「TSUBAKI」の大ヒットで、椿油への評価が高まりました。TSUBAKIに使われている椿油は伊豆大島産ではありませんが、高田製油所にも波及効果がありました。 椿油の売り上げはTSUBAKI発売前と比べ、2009年に180%増となりました。倉庫や事務所も改装し、高田さんは2009年、返済中のホテル建築費用なども含めて7500万円の借り入れとともに代表となりました。 この時期は大きな宣伝や営業をしなくても、売り上げが順調に伸びたといいます。しかし、少しずつかげりも出始めていました。 2002年の高速ジェット船就航以来、島北部の岡田港への就航率が高くなり、高田製油所が市街地の元町港で運営していた売店の売り上げに響くようになったのです。
土砂災害とコロナ禍が打撃に
さらに大きかったのが、2013年10月、死者・行方不明者39人を出した土砂災害でした。「災害以降、団体のツアー客が明らかに少なくなり、港の売店の売り上げに響きました」 土砂災害があった2013年度の売店の売り上げは、土砂災害の影響で前年の23%まで落ち込みました。借り入れでしのいだものの、売り上げは回復に至らず、2018年に売店を売却しました。 土砂災害の影響で観光客が減り、ホテル業はもちろん、椿油の売り上げも打撃を受けました。最盛期の2009年に比べ、2013年度は、全体で約30%も売り上げが落ちてしまったのです。 「椿油の売り上げは島内での販売が4割を占め、観光客の増減にかなり左右されます。コロナ禍も響き、年間20万人を保っていた観光客数も10万人まで減り、2023年も14万人と完全に戻ってはいません」 国からの助成金や借り入れでしのぎながらも、2023年の椿油の売り上げはピーク時と比べると56%、ホテル業も30%まで落ち込み、かなり厳しい状況でした。