「私は悪くない」と現実を受け入れない人を待ち受ける、不幸から抜け出せない末路
長い人生には、幸運な時もあれば不運な時もある
くり返し言うが、不幸を受け入れると、するべきことが見えてくる。しかし「私は悪くない」と言い張ってしまうと、するべきことが見えてこない。 長い人生には、幸運な時もあれば不運な時もある。不運の時にジタバタしないで、「今は、そういう時」と覚悟を決めて、幸運の時を待つ。それが不幸を受け入れるということである。 不運な時に幸運な人と自分を比べると、不幸は100倍になる。自分の運命を受け入れる人は、地獄で成長したことで、それが試練となり、人よりも強くたくましい人間になった。 その不幸を受け入れる。すると、「自分は今、生きていることだけで有り難い」と感じる。そして、いつも良いことが起きる人になる。 不幸を受け入れることができれば、間違いなく人は幸せになれる。物事が自分の望むように行かない時に不幸を受け入れている人は、「物事はそんなに上手くはいかない、相手がいるのだから」と思っている。 不幸を受け入れる人は、人生の意味を体験する。それはフランクルの言葉を俟つまでもなく、人間のもっとも価値のある態度である。ここが理解できない限り、不幸を乗り越えることはできない。 不幸を受け入れて、自分にふさわしい目的を持てる。幸せの鍵を手に入れることができる。現実を受け入れれば、自然と目的が分ってくる。
加藤諦三(早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)