「2004年に閉園したテーマパーク」現在は“心霊スポット”に… 創業者の想いは火事で焼失
大森氏が「新潟ロシア村」に抱いていたものは…
どうして大森氏はここまでの過剰(かつ不正)な融資をしてまで、新潟ロシア村を作ろうとしたのか。この点に関して、大森氏は興味深いことを述べている。 「私のオヤジは内務官僚の出身で、戦前、満洲国政府治安部の役人だった。私自身は新潟生まれだが、小学校五年生から中学校一年まで、新京で育った。満洲国内を旅したとき、ロシア人が造ったハルビンの町は子供心に実にきれいだと思った。[…]日本以外にこんな違った世界があるのか、と率直に言って驚いた。異文化に対するあこがれが生まれた。[…]そういう感情が長い間、心の奥で眠っていた」(『財界』1994年2月号) 新潟という自分の生まれ故郷に、幼い頃みたハルビンのような美しい街を作りたいーー。ある種のノスタルジーが、無理をしてまで大森氏に『新潟ロシア村』を作らせた。その心のうちは、今となっては大森氏しかわからないが、彼が新潟ロシア村に魅せられていたのは、経済的な理由だけではなかったのかもしれない。 しかし、その夢は結局、「理想」が先走りして現実には見合っていないものだった。結果、ロシア村は無くなり、今では心霊の噂だけが飛び交う場所になってしまった。 そこで事件も事故も起こっていないにも関わらず、心霊の噂が絶えないのは、もしかすると、幼い頃の思い出を求めて彷徨う大森氏の霊が漂っているから……かもしれない。 テーマパークには、それを作ろうとした人間の夢も怨念も詰まっている。 <TEXT/谷頭和希> 【谷頭和希】 ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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