『中西太、優しき怪童 西鉄ライオンズ最強打者の真実』/09植村義信の証言「別当薫さんがあんな打球はメジャーでも見たことないと驚いた」
打球を当て引退した選手がいた?
昨年2023年に亡くなられた元西鉄ライオンズの中西太さん。このたび怪童と呼ばれた中西さんの伝説、そして知られざる素顔を綴る一冊が発売されました。 【選手データ】中西太 プロフィール・通算成績 書籍化の際の新たなる取材者は吉田義男さん、米田哲也さん、権藤博さん、王貞治さん、辻恭彦さん、若松勉さん、真弓明信さん、新井宏昌さん、香坂英典さん、栗山英樹さん、大久保博元さん、田口壮さん、岩村明憲さんです。 今回は再び1956年の話を抜粋します(一部略)。 この年、毎日オリオンズ(現千葉ロッテ)に甲子園で対戦した芦屋高の植村義信が入団。2014年、中西との対談で次のように話していた。 「僕が毎日時代、中西さんの打球を足に当てて、もうプロではやっていけませんとやめてしまった先輩のショートの人がいました(有町昌昭)。そのくらい打球が速かった。僕もシュートを投げてバットを折り、三塁側にバットが転がったから打ち取ったと思ったら場外ホームランだったことがあります。 毎日にはアメリカに行き、メジャー・リーグも勉強されていた大打者の別当薫さんがいましたが、最初、中西さんの打球を見て、『こんなのメジャーでも見たことない』と驚いたそうです。別当さんはセンターでしたが、中西さんの打球に前進していったのがバックスクリーンにドンと当たったときもありましたね」 天賦の才はあった中西だが、決してスマートなプレースタイルではなかった。練習でも試合でも常に汗だく、泥まみれ。ぎりぎりの全力プレーが身上だった。走塁もアグレッシブでヘッドスライディングも珍しくなかった。 この年、盗塁36で史上3人目のトリプル3も達成。もちろん、100メートル11秒台という中西の俊足があってのことだが、隠れた理由が三番・中西のあとを打つ、四番・大下弘の存在だった。 「三原(三原脩)さんが指示したことだが、わしが塁に出ると、大下さんが自分の判断でヒットエンドランのサインを出していた。相手は三原さんの動きを見ているから混乱するよな。いくらサインを出しても大下さんが見落としばかりするから始めたことだけど、自分で出したほうが責任感も出るし、成功率は上がった。 ただね、サインがうまくいったように見えたのは違う理由もあった。ヒットエンドランは、大下さんがベルトに手をやるのがサインだったが、わしがそれで走ると、大下さんは悪い球、苦手のコースだと打たないで、平気で見逃してしまう。それでも、わしも当時は俊足だったから盗塁の形で収まるんや。大下さんが打たない球は大体変化球だから、その分、球速がないわけで、走りやすかったこともあった」 しかし、翌年以降は徐々に盗塁数が減っていく。 「三原さんに、『三番、四番を打つんだったらケガするから無理な走塁はやめなさい』と言われて、そのあとは控えた。あれから肥えたのかもしれんな。オリックス(・ブルーウェーブ)のコーチをしているとき、イチローに『わしも若いときは、お前と同じくらい速かったんや』と言ったけど信じてくれん。『ずっと肥えてたわけやない。昔は痩せとったんじゃ』って言ったんだけどな」 とはいえ、大下効果の継続もあって翌年も23盗塁。入団6年で124盗塁とよく走っている。
週刊ベースボール
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