【書評】「北大三傑」の大志を描いた評伝:芦原伸著『北の星たち 新渡戸稲造、内村鑑三、有島武郎』
今こそ“三つ星”の遺志の再評価を
ウクライナや中東での終わりの見えない戦争、コロナ禍、地球温暖化、大地震など自然災害が相次いでいる今の時代は、明治時代と酷似していると著者は指摘する。 「明治の時代も疫病(コレラ)、肺病、天然痘などの病魔が蔓延し、三陸大津波などの災害に見舞われた。」 しかも、日本では人口減少、高齢化、地方の過疎化、格差問題など課題も山積している。著者は「こうした低迷する時代だからこそ、もう一度彼らのambition(大志)を振り返ってみたい」と説く。“三つ星”たちが思い描いた大志は成就しなかったかもしれないが、彼らの遺志は今こそ再評価すべきだろう。
「北大三傑」の人生をめぐる年表
▽1861年 内村鑑三、高崎藩士の長男として江戸に生まれる ▽1862年 新渡戸稲造、盛岡藩の勘定奉行の三男として誕生 ▽1868年 明治維新 ▽1877年 新渡戸と内村、札幌農学校に2期生として入学 ▽1878年 有島武郎、旧薩摩藩郷士の長男として東京で誕生 ▽1884年 新渡戸、米ジョンズ・ホプキンズ大学に留学 ▽1885年 前年に渡米した内村、アマースト大学に入学 ▽1894年 日清戦争 ▽1896年 有島、札幌農学校に19期生として入学 ▽1903年 有島、米ハーバード大学大学院などに留学 ▽1904年 日露戦争 ▽1914年 第一次世界大戦 ▽1918年 新渡戸、後藤新平と「軽井沢夏季大学」を開く ▽1920年 新渡戸、「国際連盟」事務次長に就任 ▽1921年 内村、軽井沢の星野温泉に(以後、毎夏滞在) ▽1923年 有島、記者の波多野秋子と軽井沢の別荘で心中
【Profile】
泉 宣道 IZUMI Nobumichi 1952年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。政治部に通算13年半、マニラ・北京に8年余り駐在、クーデター未遂事件、鄧小平死去、香港返還に遭遇するなどアジア諸国で長年、取材を続けている。アジア部長、論説副委員長、大阪本社編集局長、専務執行役員名古屋支社代表などを歴任。日本経済研究センター名誉会員。1991-92年にフィリピン外国人特派員協会(FOCAP)会長。ニックネームはNonoy(ラモス元比大統領が命名)。共著に『中国――「世界の工場」から「世界の市場」へ』(日本経済新聞社)、『2020年に挑む中国――超大国のゆくえ』(文眞堂)など。