『スペースコブラ』の主題歌をカバーした葉月みなみ、苦節10年の下積み時代や展望を聞いた
40歳で一念発起し、車に身の回りのものだけ詰め込んで上京
こうして幅広いジャンルでさまざまなことに挑戦しながらも、歌手への夢は一貫して持ち続けていた葉月さん。その決意を新たにしたのは、これも子どもの頃からの夢だった『NHKのど自慢』への挑戦がきっかけだったそう。 「20代の頃、地元(新潟市)に近い魚沼市で収録があることを知って予選会に応募したところ、抽選で250組の中には選ばれたんですが、そこで歌って見事に落ち、本選に出ることができなかったんです。それが悔しくてたまらず、絶対にプロになってやると思ったんです」 とはいえ歌手への道はすんなりとは開けなかった。一度は就職し、新潟でCDデビューしたのは30歳のとき。そこからの10年間は泣かず飛ばずの状態だった。 「当時は着物姿でド演歌ばかり歌ってましたね。お祭りやカラオケのイベントによんでもらったり、介護施設を慰問したり。あとはキャンペーンで各地を回っていました。そんな仕事ばかり続けて40歳になったとき、このまま新潟にいたんじゃダメだ。世の中に出たいし、もっと上を目指したいと、一念発起して上京したんです」 地元新潟には根強いファンがいて後援会もでき、それなりに活躍の場はあった。だが上京しても仕事の当てはない。幸い後援会副会長のお身内が所有するアパートの1室に住まわせてもらえることになったものの、それ以外は何の見通しも立っていなかった。 「新潟で乗っていた『CUBE』(ワゴン車)に、布団とちょっとした洋服など身の回りのものだけを詰め込んで出てきて、文字通りゼロからのスタートでした」 一人のプロデューサーとの出会いで、人生が激変 それが2020年1月のこと。その数か月後、世の中をコロナ禍が襲い、新潟で決まっていた仕事もなくなり途方に暮れかけていたときに、プロデューサーの岩尾さんと出会って状況は劇的に変わった。 「もう一度ボイストレーニングを一からやり直し、声の出し方や表現の方法を徹底的に見直しました。そして2021年にようやく、テイチクレコードから移籍第1弾CDをリリースしメジャーデビューできたんです。 その後、どうせなら人と違うことをやりたい。それには配信がいいのではないかと、歌謡曲・演歌のジャンルでは初の世界配信に踏み切りました」 東京で葉月さんの歌の才能を見出した岩尾さんは、彼女に「マジカルボイス」というキャッチフレーズを与えた。 「葉月みなみはいろんな声や歌い方ができる表現力を持ったアーティスト。抜群の才能があり、常に進化している彼女が、さらなる飛躍を遂げるようにという思いも込めて命名しました」と岩尾さん。 そこから今回の『コブラ』まで、わずか3年で配信は第6弾に至り、海外での反響も上々だという。