「僕たちは民衆なのに、権力者目線で戦争を語りすぎている」戦争の痛みを描き続ける塚本晋也監督が『ほかげ』と森山未來に託した平和への祈り
軽やかで生命力に溢れたイスラエルのダンス
──森山さんは10年前にイスラエルに1年間滞在し、ダンスカンパニーなどで活動されていましたよね。現在のイスラエルの状況について感じることはありますか? 森山 純粋に現地にいる友人・知人たちの身の安全を願っています。 イスラエルの今を僕が語るのは、誤解を生む可能性もあるので難しいところです。報道ではガザもハマスも一緒くたになっている印象があり、公平に正確に報道してほしいという思いもあります。この問題には政治的なこと、イスラエルの歴史などさまざまな問題が絡んでいるので、語るのは悩ましいです。 ──ダンスも含めて、当時、現地で感じたことを教えてください。 森山 肉体を使った表現、コミュニケーションなど、イスラエルのダンスには人間の本質が宿っています。その熱量は膨大で生命力に溢れています。 イスラエルという国家には何千年も続くユダヤの思想が横たわっていますが、文化としては離散し続けているので、まさにダイバーシティ状態。そもそも建国したのが1948年という若い国ですから。 でも、だからこそ、自分たちのカルチャーや表現を謳歌している空気感がありました。そこが日本との違い。日本は歴史があり、熟成された素晴らしいカルチャーを持っていますが、熟成されているがゆえに細分化され、身動きが取れなくなる場合もある。 イスラエルのカルチャーはその対極にあります。今を謳歌しながら表現に繋げていて、その軽やかさは魅力的だし、大いに刺激を受けました。
民衆レベルで世界を見つめるには
──塚本監督は映画を通して戦争の痛みを描き、次世代に悲劇を連鎖させないよう尽力されていますが、現在進行形で戦争が起こっている今、私たちが民衆レベルでできることはあるのでしょうか? 塚本 ひとつ言えることは、僕たちは民衆なのに、権力者と同じ目線で戦争を語っているのではないか?ということです。戦争が始まったら、兵士として戦地に行くのは権力者じゃない。彼らが決断し、戦地へ送り込むのは民衆の若者たちです。そして相手国も同じように、若者たちが戦地に送り込まれる。 戦争さえなければ仲よくなれたかもしれないのに、恨みのない者同士が戦わざるを得なくなるわけです。だから僕たちは民衆レベルで戦争を見つめないといけないと思います。敵も味方も死なないで済む方法はないのかと、一生懸命考えないといけないと思うんです。 そのためには、その方法を我々の民衆の力で政治に反映させていくこと。そういう観点も含めて政治家をシリアスに選んでいく。今はより選挙に行くことの重要さを感じます。 武器を持ったほうがいいと考える人、持たないほうがいいと考える人、正反対に見えますが、それぞれが身を守るため、死なないために考えた意見です。 でも政治家になると武器にお金が絡んでくる。お金のためならば民衆に不幸があっても仕方がないと考える政治家も出てくると思います。今の日本が戦争へ踏みきるとは思えませんが、不用意に武器を持ってしまうと戦争に近づいてしまう。 だからこそ、民衆レベルで政治と戦争を考え、人が死なないために動いてくれる政治家が必要だと思っています。 映画『ほかげ』でまず、戦争の恐ろしさをリアルに痛感してもらうことができたら、と切に願います。 取材・文/斎藤香 撮影/石田壮一 ヘアメイク/須賀元子 スタイリスト/杉山まゆみ