【大学野球】「根気強くやります」新たな亜大野球部の構築へ…期待がかかる正村公弘新監督の手腕
投手指導に長け教え子に多くのプロ
第一印象は、大事である。新監督は良い組織、良いチーム、勝つ野球部になると確信した。 「反応が良かった。横で聞いていた大学関係者も『良い緊張感だった』と。学生との対話を大事にし、信頼関係を築き、指導者、スタッフが一丸となって運営をしていきたい」 亜大は1月9日、野球部の活動拠点である日の出キャンパス内の日の出寮(東京都西多摩郡)で、新年初ミーティングを開いた。同1日付で就任した正村公弘氏(八戸学院大前監督)は、学生たちの前でこう訴えかけた。 「野球で日本一を目指すことはもちろんかと思いますが、その前に、亜細亜大学の学生として『寮生活、学校生活が日本一』と言えるぐらい、野球部員全員でやり切ろう!!」 正村監督は1963年生まれの東京都出身。東海大浦安高(千葉)では左腕投手で「二番手でした」と、右腕・酒井勉(元オリックス)の控えだった。3年夏は銚子商高との県大会準々決勝で、ビハインドから酒井を救援も惜敗。甲子園の土を踏むことはできなかった。 東海大では4年間、岩井美樹監督(国際武道大監督)の薫陶を受け、2年春からベンチ入り。キレのある真っすぐに、カーブを得意とし、貴重な左腕として活躍した。2学年上のエース・高野光(元ヤクルト)を擁した1983年には明治神宮大会優勝を経験している。 社会人野球・NTT東京では10年プレーし、都市対抗7回、社会人日本選手権1回出場。入社4年目の89年には2期下の右腕エース・与田剛(元中日ほか)をサポートし、都市対抗予選で2勝を挙げ、本戦出場へ大きく貢献した。現役引退後はコーチを2年務め、ユニフォームを脱いだ後は5年間、社業に就いた。 2002年から八戸大(現八戸学院大)のコーチ、12年に同監督に就任。北東北大学リーグで4度の優勝へ導き、全日本大学選手権2回、明治神宮大会1回へと導いている。うち2回は、亜大相手に敗退。12年の大学選手権2回戦ではエース・東浜巨(ソフトバンク)が完投、13年の明治神宮大会2回戦では九里亜蓮(広島)、山崎康晃(DeNA)の継投で惜敗した。 「毎年、亜細亜とはオープン戦を組ませていただきましたが、コーチ時代を含めて、1回しか勝っていません。3年生・大道温貴(広島)が投げた2019年春の開幕前。スクイズで2対2に追いつかれたんですが、スクイズで勝ち越し。力があったのはもちろんですが、全力疾走が徹底されており、キビキビしたプレーで礼儀正しい。高いハードルでした」 正村監督は投手指導に長けており、八戸学院大時代には先述の大道のほか、コーチ時代を含めて川島亮(元ヤクルトほか)、青山浩二(元楽天)、塩見貴洋(元楽天)、高橋優貴(巨人)らプロ野球選手を育成。2018年夏の甲子園で準優勝に輝いた金足農高(秋田)の吉田輝星(オリックス)を指導したことでも知られている。在任時は「正村メソッド」を吸収するため、多くの高校球児が練習参加していた。