ぼうこうがん闘病8年…小倉智昭さん、77歳で死去 最期は妻の手を握り返して旅立つ
『めざまし8』は放送枠の1時間50分を使って特集
フリーアナウンサーの小倉智昭さんが9日午後、都内の自宅で亡くなったことが10日、分かった。77歳だった。死因は公表されていないが、2016年に見つかったぼうこうがんで闘病中だった。小倉さんは1994月から2021年3月まで22年間、フジテレビ系情報番組『とくダネ!』で総合司会を務めた。同番組の後を継いだ『めざまし8』(月~金曜午前8時)が、1時間50分の放送枠を使って小倉さんの生きざまを振り返った。 【写真】今年9月のイベントに登壇した小倉智昭さんの姿 小倉さんの訃報は、同局系『めざましテレビ』(月~金曜午前5時25分)が最初に伝えた。伊藤利尋アナウンサーは「10月にもお宅にお邪魔してお話をして、遊びに来いよと言われたばかり。『めざまし』の後の『とくダネ!』を22年務めました」などと悼んだ。 小倉さんは16年5月13日、『とくダネ!』でぼうこうがんが見つかったことを公表。以来、テレビ出演などを重ねながら、18年にぼうこう全摘手術を受けていた。 21年3月に『とくダネ!』を降板した後も精力的に活動していたが、がんはさまざまな箇所に転移。今月4日には医師から病院で治療の手立てがないとの宣告を受け、6日から自宅に帰って妻に看病されていたという。 「僕は小倉さんの一番弟子」と話す笠井信輔アナはこの日の『めざまし8』で、小倉さんの妻から聞いた最期の状況を説明した。 「最期は奥さんと2人の状況だったそうです。奥さんが『智ちゃん、大丈夫』と声を掛けて手を握ったら、小倉さんはぐっと握り返してきたそうです。その後に……」 秋田県生まれの小倉さんは、中学で東京の世田谷に転居。独協大を卒業後の1970年、東京12チャンネル(現テレビ東京)にアナウンサーとして入社した。故大橋巨泉さんの勧めで76年、フリーアナに転身。TBS系クイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』の出題を担当し、「1秒間に18文字の原稿を読める男」として知られて脚光を浴びた。99年からフジテレビ系『情報プレゼンター とくダネ!』で総合司会を務めた。大の西武ライオンズファンとしても知られた。
ENCOUNT編集部