【特集】16歳で強制的に不妊手術…「良い判決であってほしい」最高裁判決を前に
ミヤギテレビ
旧優生保護法のもとで強いられた不妊手術をめぐり全国各地の原告らが国に損害賠償を求めている裁判の最高裁判決が3日、言い渡される。 16歳で強制不妊手術を受けさせられた県内の女性を取材した。
モノクロ写真に写る当時15歳だった少女
仙台市にあった知的障害者施設「小松島学園」の運動会の写真だ。 いまはグラウンドとなった跡地を案内してくれたのは写真に写っていた飯塚淳子さんは、強制不妊訴訟の原告の1人。 飯塚淳子さん(仮名) 「建物があって降りて下に行くと、食堂があったりお風呂場があったり部屋に続く道があったり」 当時小松島学園には80人ほどが親元を離れ生活していた。 当時の飯塚さんを知る人がいる。 三宅光一さん(87)、当時は小松島学園で男子の生活指導員をしていた。
「私はここを出たらお嫁さんに行くんだって」
三宅光一さん 「小さい子どもの面倒はよく見てくれました。助かりました。私はここを出たらお嫁さんに行くんだっていうことを常に言ってました。」 飯塚さんが不妊手術を受けさせられたのは小松島学園を卒業した1年後、16歳の時だった。
県の「精神薄弱者更生相談所」で知能検査
県の「精神薄弱者更生相談所」で知能検査を受けさせられた結果、軽度の知的障害とされ「優生手術の必要が認められる」と診断された。 飯塚淳子さん(仮名) 「なんで間違ったことをやるのか障害者は不良の子孫って不良じゃないと思います。なんで決めつけてなんで優生保護をやってきたのか」 旧優生保護法は1948年から1996年まで存在し、障害などを理由に強制的に不妊手術を行うことを認めた法律。 全国でおよそ2万5000人、宮城県は全国で2番目に多いおよそ1400人が手術を受けさせられた。
親の承諾だけで彼女は強制的に不妊手術を受けさせられた
これは、25年前のミヤギテレビのニュース映像。 県内に住む女性が国などに対して謝罪と補償を求める声を上げている。 飯塚淳子さん(仮名) 「苦しいです。毎日泣いて暮らしています。」 親の承諾だけで彼女は強制的に不妊手術を受けさせられた。 飯塚淳子さん(仮名) 「もし中身分かっていたら手術はしなかったと思います」 手術のいきさつを知りたい。彼女はたった一人で活動を始めている。 しかし手術を受けた病院はすでに道路と変わり、手術をした医者や父親など事実を知る数少ない当事者はすでに亡くなったという。 また県や仙台市に開示を求めた手術のカルテなどは、すでに破棄されていた。 彼女のやり場のない怒りが担当者に向けられる。 飯塚淳子さん(仮名) 「人をどれだけ苦しめればいいのか、いい加減に片づけて。ちゃんと開示してよ。全部苦しい思いをしてきたんですよ、ここまで」