【特集】16歳で強制的に不妊手術…「良い判決であってほしい」最高裁判決を前に
「旧優生保護法訴訟」は2018年宮城から全国に広がった
当時の彼女を知る人はこう話す。 三宅光一さん 「日常生活のことは全部やっていたし、正しかったのかというと私は間違ったんじゃないかと思いますよ」 旧優生保護法訴訟は、2018年に飯塚さんと県内在住の佐藤由美さんが訴えを起こしてから全国各地で被害者が声を上げこれまでに39人が提訴をしている。 飯塚さんの裁判を担当する新里弁護士は… 新里弁護士 「彼女がいなければ周りの人が声を上げられなかったわけだから。そういう意味では彼女の存在はすごく大きい」 しかし仙台地裁と仙台高裁の判決は、原告らの訴える権利が20年でなくなる「除斥期間」の経過により消滅しているとして原告の訴えを退けた。 全国各地の裁判でも除斥期間を適用するかで判断が分かれる中、最高裁判所は5つの裁判について7月3日に統一判断を示す見通しとなっている。 新里弁護士 「仙台高裁の中で、一番頑張った人が一番認められない、そんな不合理はない。そういう意味では被害者が広く救済されるような判断を最高裁が選択をして次に繋がる判断をする、それを国会、国がサポートをするような仕組みにしなければいけないと思う。」 飯塚淳子さん(仮名) 「すごくここまで来るまで苦しかったし、良い判決であってほしいと願っています」 最高裁での判決を控えた先月10日、 飯塚さん「どうも」 三宅さん「どちらさんだっけ?」 飯塚さん「小松島学園でお世話になった」 三宅さん「大丈夫かい、身体。上がれ」 飯塚さん「ありがとうございます」 三宅さん「昔と全然、変わったなあ」 飯塚さん「そうですか。もう歳取ったから」 三宅さん「俺の方が上だべっちゃ!上がって」 飯塚さん「失礼します。家にいるまま来たのですみません」
「人間としてやってはならないことってある」
手術を受けさせられる前の飯塚さんを知る三宅さんの元を訪れた。約60年ぶりの再開だ。 三宅さんに会いたいという飯塚さんの思いを伝えたところ、三宅さんはそれを快く受け入れてくれた。 三宅さんもずっと飯塚さんのその後を気にかけていたという。 飯塚淳子さん(仮名) 「心の傷は今も消えないんです。 だからこそ子どもは不幸にしちゃいけないっていう思い、 自分みたいにはしちゃいけないっていう思いが強くあるので、人間としてやってはならないことってあるので」 三宅光一さん 「こんなに強かったのかなって強い人間になってびっくりしました。」 最高裁判決は3日、言い渡される。