「死んだ方が楽やった」課題残る“震災障害者”も支えた「相談室」記録を後世へ【震災30年つなぐ未来へ】
暮らす場所が仮設住宅や復興住宅に移っても、寄り添い続ける牧さんたちの存在は、被災者にとって生きる希望でした。 【避難所にいたときから支援を受ける被災者】「なんか知らんけど自然になんでも話できる。こんなに訪ねてきてくれるのは牧先生だけ。他の人は訪ねてきてくれるけど、尻切れトンボ。先生がこうやって来てくれるから、元気でおらなあかんなって。先生の顔見るまで頑張らないとって」
【牧秀一さん】「復興住宅の訪問記録。『御影にいましたよ』、『そこから復興住宅に来ました』と、訪問活動の記録が書いてあったり」 (Q.どういう会話したとか?) 【牧秀一さん】「今の状況とかね。血圧が高い時は230と書いてある」 よろず相談室が残した記録は、異なる被災経験をした1人1人が苦しみの中で、必死に生きてきた証です。 記録のノートの中には「なぜあの時、赤ちゃんを1番に助けれなかったのか、あと2秒あったら、と思う」という言葉や「どこに言えばいいかわからない」といった悩み。 そして「サッパリとしたジャケットで、とても嬉しかった」という喜びも。 被災者の生の声が残されています。 【牧秀一さん】「紙ベースの人の手で書いた記録が、人と人との関係を書いている。それがとても大事なことかなと思ってるねん」
■資料を寄贈へ 研究者「被災者1人1人の経験が書かれた貴重な資料」
5年前に「よろず相談室」の代表を退いた牧さん。 去年、震災資料の研究者を自宅に招き、支援の記録を活用できないか相談することにしました。 【牧秀一さん】「首が痛くて頸椎(けいつい)をけがして、『このままだと手術だ』と言われて。1人暮らしだから、ぞっとした。死んだらどうしようと思って。『資料を持って死ぬんかな』と思って」 牧さんはよろず相談室の記録を多くの人に見てもらい、知ってほしいことがあります。
■支援が届かなかった「震災障害者」に光を
震災のけがで後遺症がある「震災障害者」の存在です。 多くの犠牲者の陰で、震災障害者は周りに自分の苦しみを話すことができませんでした。 牧さんは、当事者の声に耳を傾け、実態を把握してほしいと行政に訴えてきました。 【震災障害者】「震災でほんま死んどったらよかったと思いました。死んだ方が、どんなに楽やったかと思ったわ」 【震災障害者】「障害をもって、精神障害を起こしている自分に対する理解のなさに、初めて泣きましたね」 【牧秀一さん】「『震災障害者』の問題は解決できていない。これはどうしようかなと思うぐらい」 一部で支援制度ができたものの、十分とは言えない現状。 資料を新たな場所に託すことで、解決に近づけばと期待を寄せています。