なぜ変わらない?教員に残業代出ない「給特法はおかしい」廃止を阻む5つの難点 中教審、教職調整額「月給の4%から10%以上」提案
【論点(3)】校長の過剰な干渉で教員の裁量や自主性が狭まらないか
関連して、給特法を廃止した場合、都道府県・政令市(給与負担者)が残業代として出せる予算は当然、青天井ではない。そのため都道府県教委と市区町村教委は、各学校に時間外業務を抑制するよう、強く要請するようになるだろう。 これが給特法廃止論でも期待されている、業務削減等の効果の1つだ。同時に、校長は時間外に本当に必要な業務なのかどうか細かく精査、関与するようになる可能性もある。これは、前述の時間外業務を放任、追認してしまう姿勢とは真逆に進んだ場合のことを想定している。 例えば、「〇〇先生、最近時間外業務が多いけど、必要性の高いことかしら? 添削やコメント書きに30分以上もかける必要なんてないんじゃない? 授業準備だって、もう少し要領よく進められるはずよ。勤務時間内もどんな段取りで仕事を進めているのか、ちょっと説明してもらえない?」などと言ってくる校長も出てくるだろう。 こういうのが業務の精選や働き方改革につながってくる、というプラスの影響もあるかもしれないが、指導される側の教員のメンタルが落ち込むリスクもある。現状でも、初任者が指導役の教員(元校長だったりする)から過度に指導やプレッシャーを受けて、精神疾患を患ったり、離職したりするケースも報告されている。 印象論とはなるが、私がヒアリングする限りでは、教員の中には干渉されるのを嫌う人、細かな管理をされるのは嫌、任せてほしいと言う人は多い。 実際、目の前の子どもたちの状況をいちばん知っているのは、授業や学級担任をしている教員なのだから、どんな授業準備が必要かとか、どんなフィードバックを児童生徒にしたらよいのかなどは、校長ないし副校長・教頭が逐一指示をするよりも、個々の教員の裁量や自主性に任せたほうがよいケースも多いだろう。教職の専門性とはそういうところにあると思う。 また、そもそも教員が数十人いる職場で、校長も副校長・教頭も1人ずつしかいない場合も多い中、管理職の時間、労力だって有限だ。細かいことに関与する(マイクロ・マネジメントと呼ばれる)暇があれば、別のことに振り向けたほうがよい。 もちろん、教員があまりにも自分勝手になったり、他人の助言に耳を貸さないといった姿勢になったりするのは問題だが、教員には、授業や子どものケアについて創意工夫しながら、実践を通じてリフレクション(省察)し、改善していく姿勢が大切だ。そうした自律性や専門性を重視する意見が、中教審の議論では多かった。 ただし、こうした見立てには給特法廃止論からも有効な再反論がある。個々の教員の裁量や自由さを大事にすることと、残業代を出すことは、必ずしも両立しえないこととは言えない、というものだ。 校長は放置・放任でもなく、時間外業務を抑制しつつ業務の見直しなどを働きかけることは可能だし、程度の差はあれ、民間企業などでもマネージャー職はそのあたりのバランスに苦慮しながら実践している。 また、教員のモチベーションやメンタルヘルスを悪くするほどの校長の関わりが出てくるとすれば、それは校長の管理能力や適格性の問題として別途対応すべきであり(処分や研修等)、残業代を出さないほうがよい理由にはならない、との見方もあろう。 学校以外の業界にも視野を広げると、現行制度でも、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度が典型例だが、細かな指揮命令を受けず、個々の従業員の判断や自律性にゆだねたほうがよい仕事には、時間外勤務手当の制度は外されている(ただし深夜業の制限などの健康確保策は必要だし、不十分さが問題視されることも多い)。 あまり知られていないが、公務員でも、裁判官や検察官も残業代は支給されない法制度となっている。裁判官や裁量労働制で働く大学教員ほど、小中学校等の先生が自律性や自由度のある仕事であるとは考えにくいが。 つまり、教員は、緊急性のある場合など一部を除いて原則、時間外業務は課されないし、過度な業務が負荷されないよう、守られないといけないという「労働者」としての側面がある一方で、具体的な業務の進め方やあり方を自律的に判断しながら創意工夫、改善していく「専門職」という側面もある。 二者択一ではないが、「労働者」の側面をより重視するなら、給特法廃止論へ傾くし、「専門職」の側面をより重視するなら給特法維持ないし、別途専門職としてふさわしい制度を創設・導入すべし、という論になろう。