エネルギー小国日本の選択(11) ── 災害とエネルギー、原子力トラブル
東海村JCO事故
この頃、他の原子力施設では痛ましい事故もあった。1つに、国内初の被ばくによる死亡者が出た東海村JCO事故がある。1999年9月、住友金属鉱山グループの核燃料加工を手掛けていたJCOの茨城県東海村の施設で、ウラン精製中に作業員が被ばくした。2人が死亡、1人が負傷、周辺住民を含む600人超が被ばくした。原因はずさんな製造工程にあったとされる。ウラン化合物を溶かす過程で、本来使うべき機械装置を使わず、ステンレス製のバケツを代用するなど、問題が多数発覚した。 JCOはウランの加工事業許可を取り消され、2003年にウラン再転換事業をやめた。JCOのホームページのトップ画面には現在、臨界事故を発生させたことへのお詫びと共に「安全確保を第一に『ウラン廃棄物の保管管理』と『施設の維持管理』を継続して行っております。今後は『不要な設備の撤去・整備』を順次進める」とのコメントが表示されている。 またこの事故をきっかけとして1999年12月、災害などによる放射能汚染の拡大を防ぐための原子力災害対策特別措置法が施行された。首相が原子力緊急事態宣言を出した場合に、自治体や原子力事業者を指揮できるよう、首相に全権を集中させることにした。 これらの事態を踏まえ、原子力エネルギーに反対する動きが各地で目立つようになった。ただ、政府と産業界を中心に原発を後押しする声も依然強かった。理由の1つに、日本国内での人口減少を背景とした企業の海外展開強化があった。原発は鉄道や省エネと並んで、日本が海外にPRできる一大商材とされていた。一方で中国など新興国の躍進と相まって石油などの資源価格は高騰し、原子力が石油に代わるエネルギー源として依然、有望視されていた。 次回は資源外交、エネルギーセキュリティーが声高に叫ばれていた、東日本大震災直前の時期を見ていきたい。日本は官民を挙げて産業をパッケージで売り込もうとしていた。