エネルギー小国日本の選択(11) ── 災害とエネルギー、原子力トラブル
柏崎刈羽原発を襲った地震
2000年代には2度の大地震が新潟県で発生した。2度目は2007年7月16日、東電柏崎刈羽原発の北方の沖合を震源とする最大震度6強の中越沖地震だ。夏の電力やガソリンの需要期に起き、供給不安が囁かれた。 経産省としては電気とガス、石油、LPガスの各事業者に復旧に全力を尽くすよう指示し、ガソリンスタンドの営業延長なども求めた。 阪神大震災の時と同様に各電力、各ガス会社が全国から応援に駆け付けた。最大時には電気は約2300人、ガスは約1600人が動員された。また、阪神・淡路大震災の教訓から、停電からの復旧時に各戸の安全確認を行い、漏電による火災発生を防げたという。阪神大震災後に、ガスの導管で柔軟性や腐食性に優れた地震に強いポリエチレン管の普及を進めたことにより、ガス漏洩の防止にも繋がった。 一方、柏崎刈羽原発は7基中、定期検査で止まっていた1、5、6号機を除く4基が地震で自動停止した。また、3号機の変圧器で火災が発生し、微量の放射性物質が海と空気中に放出された。放射性物質を含む冷却水が点検中の6号機から漏れるトラブルもあった。 事態に鑑み、調査チームを派遣した国際原子力機関(IAEA)も地震に関し、「プラントの設計基準地震動を上回っていた可能性があることを示しており、プラントの系統、構築物及び機器の挙動に相当程度の影響が及んだ可能性がある」(原子力安全・保安院=当時=仮訳)と指摘している。 専従の初期消火に当たる従業員が常駐せず、初動も遅れた。原発を持つ他電力も専従の要員がいなかったため、各社は全原発への化学消防車の配備や地元消防との連携強化などを行っていくと、同年7月に経産省へ報告した。東電は柏崎刈羽での事案を受け、福島第1、福島第2の両原発でも防火水槽を配備するなどの改善策を講じていった。
高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故
地震の影響によらず、1990年代以降は国内の原子力施設のトラブルが目立った。 代表例として、混合酸化物(MOX)燃料を使い、消費量以上の燃料を生み出せる「夢の原子炉」とされた高速増殖炉のもんじゅ(福井県)がある。旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が手掛け、1985年に本体の工事が始まり、1991年から試運転が始まっていた。その後調整を繰り返し、1994年に臨界となり、1995年8月に発電を開始。しかしそのわずか3カ月余り後、ナトリウムが漏れ出す事故が発生、運転停止に追い込まれた。その際、一連のトラブルの映像を当初、一部しか見せないなど、施設側が隠蔽しようとしたと報道機関に激しく非難された。原子力事業に対する社会の不信が一気に高まった。 再起に向け、1998年に動燃は解体され、後継機関として核燃料サイクル開発機構ができた。その後、もんじゅの運営主体は2005年に発足した独立行政法人の日本原子力研究開発機構に移った。ナトリウム漏洩対策を経て、2010年5月には運転を再開した。当時、アジア太平洋経済協力会議(APEC)のエネルギー大臣会合が日本で開かれていたことから、各国の大臣を視察に招くなど、国際PRにも力を入れた。「夢の原子炉」が実現する期待が関係者の間で再び高まった。 しかしその直後の8月、またもトラブルに見舞われる。原子炉容器内に装置が落下し、運転休止に陥った。非常用発電機の故障も判明した。もんじゅは、文部科学省の所管に疑問符も付き、混迷の末に2016年12月、廃炉が決まった。