「精子を凍結保存しておきますか?」ーーがん治療後に2人目を授かった男性がん患者が描く、自分と家族の「これから」
「症状が出ると怖いじゃないですか。『俺もう帰ってこられないだろうな』と思いながら、病院に向かった記憶があります。そのときは知識がなかったので、頭にがんがあったらもう(治るのは)難しいと思っていたんですよね」 脳への転移は多発性で、あちこちに転移を繰り返した。それを一つひとつ、モグラたたきのように放射線でたたいていった。
医師からの思いがけない提案
抗がん剤治療の方針で、当時の主治医と意見が分かれた。清水さんは、セカンドオピニオンを求めて都内の大学病院を受診。転院した。 抗がん剤治療は3種類の薬を投与するもので、強い副作用が出ることが予想された。いよいよ抗がん剤治療が始まるというとき、病棟の担当医に「精子を凍結保存しておきますか」と聞かれた。 「そのときは生きられるか生きられないかだけで、子どもをもう一人持ちたいとか、そういうことは頭になかったんです。でもその先生が、女の先生だったんですけど、『抗がん剤の副作用で妊孕性に影響があるかもしれない。清水さんは若いから凍結保存しますか?』って」 清水さんが入院していた大学病院は産婦人科もあり、精子の凍結処理や保存をする施設をもっていた。
「『うちであれば明日にでもできます』と。これががん専門病院とかだと、紹介状をもらって別の病院に行かないといけないので、治療が遅れる可能性があるんですけど、ぼくの病院では、抗がん剤の開始を1日遅らせるデメリットしかなかった。費用は、当時のぼくの場合は、凍結処理は記録をなくしてしまって覚えていないんですが、保存にかかるのは5本までなら年間5000円で、1年ずつ更新でした。ならばお願いしようと」 過酷な抗がん剤治療は4カ月続いた。その後も維持療法(がんの再発や進行を予防するためにおこなわれる治療)として抗がん剤を継続した。
死を覚悟してエンディングノートを書いた
苦しい時期の心の支えはアイドルグループ・乃木坂46。「君の名は希望」という曲に励まされた。ライブや握手会にも出かけた。 「奥さんによく怒られました。『なんで今行くの』って。3週間で1クールの抗がん剤で、最初の2週間はつらくて動けない。ようやく3週目で少し動けるようになる。だけど免疫が落ちてるから、妻としては人混みに行ってほしくないんですよね。でもぼくからしたら『今行かなきゃいつ行くんだよ』と。次の抗がん剤が始まったらまた行けなくなるから。少し先に楽しみなことがあると、それに向かってがんばろうと思うんです。子どもの入園式までは、運動会までは……というふうに、短いスパンの夢しか描けなかった」