「光る君へ」なぜ“手”をクローズアップ?心に美しい残像を生むために~タイトルバックの裏側
「そもそも映像とは、心に残像を生むための総合芸術です。特に今のような情報過多の時代にこそ、心に残る、深層に迫るようなクリエイティブの方が有効だと考えました」
そこで全体を貫く普遍的なキーワードとして考えたのが「光と触感」だった。「昔は太陽光、ろうそくの光などで生活していたと思うのですが、光と触感というものは普遍的だろうと。今のような目まぐるしい時代だからこそ、恋をしたときの永遠に感じるような一瞬を描けたら、むしろ新鮮に感じてもらえるのではないかと。そこから企画、演出、美術、ライティングなどを詰めていきました。加えて、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』や世阿弥の『風姿花伝』など、日本的な美を探求してきた書物とまるで打ち合わせを進めるような感じで、詰めていきましたね」
タイトルバックの中でたびたび登場するのが、主人公・まひろと道長の手。二人の手が近づいては離れていく様子は、その関係を象徴するかのようでもある。時に重なる場面もあり、手だけが映されることで観る者の好奇心を掻き立て、「艶めかしい」「官能的」と評判だ。 「まひろと道長を表す表現として、抽象的だけど生々しく感じられるものがいいなと考えていました。そうしたときに、手には表現の幅がすごくあるなと。握ったり、突き離したり、逃げたり、指先だけ触れたり……。初めはまひろに加えて(柄本佑演じる)道長も登場させることも考えたんですけど、タイトルバックは極力具象化しない方がいいと思ったのでやはりやめようと。抽象的で、なおかつ感情表現に富んだ最大のモチーフになるのは手だと思い至りました」
手をモチーフの中心とする一方で、市耒がこだわったのは手そのものではなく「光」そのものを映すことだった。
「手だけを撮ると生々しくなりすぎるのでカメラマンには“手を撮らないでほしい”と伝えたんです。光で包むような形で撮ってほしいと。それはまひろ(吉高由里子さん)を映すときも同様でした。カメラマンには面白い挑戦になりますよね。被写体をピントを外さずに映すことを訓練している最高のプロに、“ピントが合わなくてもいいです”というわけですから。僕としては、その人物が相手に触れたい、あるいは近づきたいけど近づけないといったようなことの一瞬を表現したかった。僕がスタッフに言い続けていたのが“永遠に感じる一瞬”を映したいということ。それは具象的なことではなく残像のようなものにしなくてはいけないんだと」