イチローらと米キャンプ参加 「ボコボコ」にされたエース…変わらぬサイン「もうええわ」
星野伸之氏は1998年に6勝10敗…翌春にマリナーズのピオリアキャンプ参加
1999年春、オリックス・星野伸之投手(現野球評論家)はイチロー外野手、戎信行投手とともにシアトル・マリナーズの米アリゾナ州ピオリアキャンプに参加した。「『お前は自分で調整できるだろうから行ってみないか』と言われて『じゃあ、お願いします』ってね」。前年の1998年は22登板で6勝10敗、防御率5.12。2桁勝利が11年連続で、規定投球回到達も12年連続でストップした。そこからの巻き返しを期した年の米国キャンプ経験だった。 【写真】総工費なんと6億円…イチローが立てた豪邸 マリナーズキャンプに参加する前年の1998年は星野氏にとって試練のプロ15年目だった。4月4日のダイエー戦(GS神戸)で3年連続7度目の開幕投手を任され、2失点完投したが、試合は1-2で負け。好投しながらも工藤公康投手との投げ合いに勝てなかった。そこからオリックスは開幕6連敗を喫したが、星野氏自身も開幕6連敗と最悪のスタートになった。 5月21日のロッテ戦(仙台)での8回無失点投球でようやく初勝利をマークしたが、悪い流れを断ち切るまでには至らなかった。それまでは不調でもシーズン中に立て直してきたが、この年はできなかった。何かしらの歯車が狂っていたのだろう。「ひどい年だったですね。まぁ、後になって思えば、この辺からちょっと、いろんな意味で体力的にも、っていうのが見え隠れしていたのかという感じはしますけどね。そんなの結果論になっちゃいますけどね」。 そして迎えた1999年だった。2月下旬からのマリナーズのピオリアキャンプが星野氏の“再スタート”の地となった。「でもね、球が滑る、滑る。目茶苦茶滑りました。まぁ、アリゾナだったからなおさら乾燥していたんでね。これは今も思うけど(日本の投手は)あれでよく曲げられるなってね。(山本)由伸(ドジャース)もよう曲がっているな、すごいなって思いますよ。僕はカーブがよくすっぽ抜けましたから」。 過去に星野氏は日本で開催された日米野球で、そのボールは経験済みのはずだった。1988年はアンドレス・ガララーガ内野手(エクスポズ)に、1996年にはマイク・ピアザ捕手(ドジャース)に一発こそ浴びたが「日本ではしっくり投げられた」という。1990年11月7日(甲子園)の全日本対全米戦では先発して3回無失点。3番バリー・ボンズ外野手(パイレーツ)、4番セシル・フィルダー内野手(タイガース)の全米打線に1安打も許さず好投したこともあった。