イチローらと米キャンプ参加 「ボコボコ」にされたエース…変わらぬサイン「もうええわ」
ケン・グリフィーJr.から空振りも…脱帽の対応策
だが、1999年春のアリゾナでは同じ感覚で投げられなかった。「ひどかったですね。試合にも投げましたけど、ボコボコに打たれました。それに向こうではフルカウントになったら(捕手が)真っ直ぐ(のサイン)しか出さなかったですしね。首を振ってもずっと変えないんですよ。もうええわ、と思って投げたらガバーっと打たれて……」。星野氏は苦笑しながら振り返ったが、米国野球に触れたことは「いい経験になりました」とも話した。 「(マリナーズキャンプで)ケン・グリフィーJr.(外野手)にフリーバッティングで投げた時、カーブを空振りしたんです。そしたらね、ずーっと後ろで見ているんですよ。で、何人かがカーブを空振りしたんですけど、やっぱりすごいなぁと思ったのは、その後、全部逆方向に打つんですよ。これでこうなるんだったら、こう打たなきゃみたいな。ケン・グリフィーだけじゃないけど“なるほどね、すぐにできないと生き残れないんだろうな”って。それは初めて見ましたね」 当時マリナーズ主力左腕のジェイミー・モイヤー投手からは「チェンジアップを教えてもらった」という。「モイヤーのチェンジアップを後ろで見ましたけど、キュキュッって曲がるんですよ。フォーシームなんて比じゃないくらい回転数がえげつなかった。すごいなぁと思いましたね」。その“魔球”の握りを伝授されたが、残念ながら習得できなかった。「同じ握りで練習したんですけど、僕の手が小さいからか、無理だった。僕にはたぶん合っていないなと思いました」。 そんな中、モイヤーに「お前はチェンジアップを投げられなくても、あのカーブがあるじゃないか」と言われたそうだ。「“えっ、僕のを見てくれていたの”って思いました。モイヤーとは(ピッチング練習の)組が一緒で投げていたわけではなかったので、どこかで日本人の細いピッチャーが来ているなって見ていたんでしょうけど、それはうれしかったですね」。星野氏のカーブはメジャー屈指の左腕にも認められたのだ。 1999年の星野氏は11勝7敗、防御率3.85と復活を果たした。しかしながら「カーブがね、あの(米国での)2週間で、滑るから深めに握るような癖がついたんです。僕は結構、端っこを持つんですけど、すっぽ抜けるんじゃないかと思って怖くてね。だから全体的にはあまりいいカーブとは思わなかったですね。シーズン途中からも元に戻ったかなぁ、くらいの感じでした。よく11勝できたなって思います」と、決して満足できるシーズンではなかったようだが……。 ピオリアキャンプを経験したオリックス・イチローは2000年オフにポスティングシステムを利用してマリナーズに移籍。大成功を収めたが、“遅球の使い手”の星野氏が海を渡っていればどうなっていただろうか。アリゾナで滑るボールに苦労しなければ、得意のカーブがすっぽ抜けるシーンが少なければ、もしかしたら違う展開があったかもしれない。
山口真司 / Shinji Yamaguchi