植田総裁の記者会見からの示唆-利上げのロジック
金融政策の運営-中立金利
今回の記者会見では、利上げの最高到達点を探るために、多くの記者が中立金利の水準を質した。植田総裁は、正確な推計は困難として具体的な言及を避けた上で、今後の利上げの影響を見極めることでその水準が明らかになるという考えを確認した。 しかし、本年度はともかく来年度以降の日本経済は、日銀の見通しによれば潜在成長率をやや上回るペースで推移し、需給ギャップもプラスに転じる。だとすれば、本来は実質の政策金利も中立的、つまり自然利子率の近傍にあることが合理的になる。 そこで、日銀が最近公表したワーキングペーパーをみると、足元の自然利子率はモデルによって-1%付近から+0.5%付近に分布している。これに中長期インフレ期待の代理変数としてインフレ目標である2%を加えた+1~+2.5%というのが、政策金利の中立水準として金融市場で意識されている訳である。 しかし、自然利子率の推計に幅がある点を措くとしても、筆者には、中長期のインフレ期待を2%とおいてよいのかという疑問も残る。前節で見たように、家計や企業、金融市場にとってのインフレ基調の改善は道半ばにあることも考えられるからだ。 仮に、現在認識されているインフレ基調が1%台の中盤にあるとすれば、現在の0.25%の(名目)政策金利の下でも、実質の政策金利は-1%近傍になり、上に見た自然利子率の推計の下限と一致することになる。つまり、見方によっては、日銀の政策金利は既に中立水準に達したと考えることができる。 だからといって筆者は、日銀は利上げを打ち止めにすべきと主張している訳ではない。つまり、家計や企業、金融市場によるインフレ基調の認識が今後も改善を続け、インフレ期待が上昇すれば、その分だけ政策金利を引き上げることには合理性がある。 こうしたアプローチには、利上げをしても中立水準を維持すると説明しうることに加えて、時間を要するインフレ期待の推移に合わせる点で利上げペースが緩やかになるメリットがある。 その一方で課題も存在する。まず思いつくのは、インフレ基調ないしインフレ期待の変化に対する認識を日銀と金融市場が適切に共有しうるかという点である。ただし、これは技術的な面が強く、分析や対話によって対応しうる面もあろう。 より大きな問題は、利上げペースが過度に緩やかになってしまって、今回の景気循環の中で名目政策金利の「糊代」を十分確保できず、次の景気後退で再び「非伝統的政策」に回帰する恐れであろう。植田総裁にとって、金融政策の「正常化」がミッションであるとすれば、この問題の重要性は大きい。 それでも、緩やかな利上げがインフレ期待の漸進的な改善を反映したものであれば、それも「正常化」の一環でもある。また、インフレ期待がきちんとアンカーされなければ、「非伝統的政策」の効果も結局は乏しくなる。これらのバランスをどう考えるか、次回以降の記者会見に注目したい。 井上哲也(野村総合研究所 金融デジタルビジネスリサーチ部 チーフシニア研究員) --- この記事は、NRIウェブサイトの【井上哲也のReview on Central Banking】(https://www.nri.com/jp/knowledge/blog)に掲載されたものです。
井上 哲也