対米自立のために日本は核武装すべきか?田原総一朗がキッパリ否定する理由
「米国は我々が大量破壊兵器を持っているから攻撃すると言っているが、残念ながら我々はまだ核兵器開発に至っていない。米国はそれをよく知っている。だから米国は攻撃するだろう。持っていたら攻撃できないからだ」 まさにそうなった。なぜ北朝鮮が必死になって核保有に走ったか。イラクの二の舞になりたくないからだ。 核武装は、国家のサバイバル戦略においては重要な選択肢になる。日本については、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、安倍がNATO下の米国と加盟国による核シェア(共有)政策について日本も議論すべきだと発言し、賛否が渦巻いたことがあった。落としどころとして、「作らず」「持たず」「持ち込ませず」の非核三原則のうち、最後の部分を外すことによって、米国の核の傘の抑止効果をより強固にすべきだとの選択肢も浮上している。 ● 核武装すべきという声があがるも 原爆を落とされた日本には無理 なぜそういった議論が出てくるか。 その背景には米国は本当に日本を核の傘で守ってくれるのかという疑念があるからだ。仏の歴史人口学者・エマニュエル・トッドは「米国は頼りにならないから日本は独自に核武装すべきだ」(『文藝春秋』2022年5月号)と言っている。 確かに、核に対する態度は、外交・安保政策において究極の主体性が問われる問題だ。対米従属に陥らざるを得ない動機を突き詰めていくと、米国の核の傘に守ってもらう戦略との因果関係がどうしても出てくる。 主体性を持つために、核の傘から抜け出る選択肢も留保すべきかどうか。その場合、自ら核武装して独自の抑止力を持つべきだというのが石原慎太郎らの意見だったが、僕はそれには賛同しない。原爆を2度落とされた日本に、その選択肢はあり得ない。そこははっきりしている。 ではどうするか。
それをいま勉強中なのだ。いずれ勉強会の成果も報告したいと思う。現時点ではっきり言えることの1つは、日米安保における主体性回復としていま日本が全力を挙げて取り組むべきは、対中国外交の活性化だということだ。 米国にはない日本独自の対中人脈、情報網を作り上げ、それを梃(てこ)に米中間の緊張緩和を進めること。万が一にも台湾への武力侵攻という事態にならないよう、中国を外交的に抑止し、返す刀で米国にも自制を求める。 いまさらそんなことをしてもと言う人がいるかもしれないが、いまさらだが、しなくてはならないこともある。ここには、日本の命運がかかっている。主体性を考えることは、僕なりの「非戦の流儀」なのだ。 日中間は地政学的にも一衣帯水である。近代の日本の安全保障は、米国との関係によって規定されてきたと言ってきたが、ここに新たに中国を加えることだ。方程式は複雑になるが、逆に言えば、外交カードは増えることになる。自民党内で実力者であると同時に、習近平政権が最も信頼する親中派政治家である二階俊博を軸にした議員外交を1つの突破口にすべきだろう。 核の傘については、基本的には現状維持だが、核の傘が果たして真に有効なものなのかどうかを常に点検する必要がある。トッドの言う疑念が根も葉もないものなのかどうか、常に米国と対話を続けていかなければならない。同時に、いまは忘れられてしまっている日米地位協定の改定にも取り組まなければならない。 日米安保における主体性の回復。これは実は、日本で生きるすべての人にとって焦眉の課題なのである。非戦のためのライフワークとして成果を上げられるか否か。僕のジャーナリスト人生の正念場を迎えている。
田原総一朗