男子バレー、パリ五輪・イタリア戦の真相。日本代表コーチ伊藤健士が語る激闘「もしも最後、石川が後衛にいれば」
「最後だから胴上げしよう」“日本人だって戦える”と示したブラン監督
――ブラン監督とは8年間共に戦いましたが、イタリア戦後はどんなお話をされましたか。 伊藤:「一緒に戦えて幸せでした」ということは言わせてもらって、お礼を伝えました。あとは、本当に最後なので、胴上げをして。負けたばかりのところで選手たちには本当に申し訳なかったんですけど。みんなにちょっと謝って、「でもここでしかできないから、最後だから、胴上げしようか」と言わせてもらいました。 胴上げがどういうものなのか、ブランがわかっているのかどうかわからなかったんですけど、とりあえず「日本の伝統だ」と言って(笑)。「メモリアルな時とか、人を送り出す時にやるんだよ」というような話をして。ブランめっちゃ泣いてましたね。あれで泣くってことは、ブランも日本人ってことですね(笑)。 ――ブラン監督の一番近くで過ごして、伊藤コーチが影響を受けた部分というのは? 伊藤:日本の、僕らの、頭というか考え方を変えてくれたのがブランだなと思っていて。昔は、高さとパワーで負けたとか、日本人はこんなもんだという考えが強かったし、日本は背が低いから、パワーがないから、特別な戦術やオリジナリティがないと戦えない、みたいな考え方でした。そうじゃなくて、日本人だって世界レベルの技術だったり、世界に通用するものがあれば戦えるんだと、ブランがわからせてくれたし、そのために必要な準備や戦術、システム、そういうものをしっかり日本に浸透させてくれました。非常に考え方も見方も自分の中でレベルアップしたと感じますし、僕にとっては本当に財産になる8年間でしたね。 あとは、彼は非常に徹底していましたね。日本はサーブが良くないと勝てないからと、サーブ力のある選手を徹底して選考したし、パスについても、普段(所属チームで)やらない選手はなかなか選ばれない。日本人だといろいろなことを考えてしまいそうだけど、彼は一本筋が通っている。“世界で戦える選手”という基準が彼の中にあって、それを貫き通していたと思います。 ――ブランさんはパリ五輪後、すでに韓国の現代キャピタルで監督を務めています。伊藤さんの今後は? 伊藤:まったくどうなるか僕自身もわかりません(笑)。代表チームは監督が代わるといろいろ変わりますし。僕はどこかのチームで活動できればいい。新しい監督からオファーがきたら考えようかなと思っていますが、意地でも代表を続けますと言う気はなくて。基本的に必要とされればやるというスタンスなので、新監督次第ですね。誰がやるにせよ、今までのチームのスタッフはみんな適材適所で本当に良かったので、またそういうチームを作ってほしいなと思っています。 <了>
[PROFILE] 伊藤健士(いとう・けんじ) 1981年9月13日生まれ、東京都出身。バレーボール男子日本代表コーチ。筑波大学大学院を卒業後、東レに入社。東レアローズ男子バレー部でアナリストを務めた。2014年に男子日本代表のアナリストに就任し、その後コーチとして長くチームを支えた。
文=米虫紀子