「いいパパですね」「ママに聞かないと……」“パパ”に対する社会からの無言の圧力
自分のなかに社会が望む“男らしさ”が形成されていく
自身の首を絞め続ける、漠然とした生きづらさの正体とは――。知らないうちに纏うようになっていた「男性」という鎧を一つひとつ脱ぎ捨てていくと、幼少期から青年期の原体験に辿り着いたという。 「『男は泣くな。辛くても歯を食いしばって耐えろ』と、父親からは口酸っぱく言われましたし、『男の子が母親に甘えるなんてマザコンだ』『スポーツができる方が男らしい』など、周りの大人たちからも、らしさの押しつけを受けてきた。そうした積み重ねによって、自分のなかに社会が望む“男らしさ”が形成されていき、いつの間にか『男たるもの』が紐づいた感情と思考に支配されていきました。 その結果、僕の場合は、悲しみや不安や戸惑いといった、自分に不都合な感情に襲われると、そうした感情に蓋をして抑圧するか、あるいは、誰かにマウントすることで、偽りの自信を得ようとする傾向があることに気がついたんです。 それは夫婦関係にも影響していて、妻との関わりの中でも、自分が不都合な感情に襲われたときは、それに蓋をして心の内を見せないように壁を作ったり、喧嘩をした際に相手を論破しようとするようなところがあったんです。これでは夫婦関係なんて到底作っていけないなと思い、それ以外の対処法を見つける努力をしたのですが、なかなか難しく……。 今でもこれという方法は見つかっていないのですが、抑圧したり、ごまかそうとする前の感情、たとえば「悲しかった」とか「不安だった」とか、そういう自分の弱さを認めるような言葉を、あとになってでもいいから伝えるようにはしていますね」
“パパ”に対する社会からの無言の圧力
不都合な感情と向き合えるようになり、少しずつ自身の弱さを認められるようになった白岩氏ですが、自身の中の固定観念を脱せるようになってきてからも、男性を型にはめようとする無言の圧力を社会から感じ続けたと振り返ります。
「例えば、子育てにおいては、妻と同じことをしているだけで、周囲からは『いいパパだね~』と褒められる。一方で、体調がすぐれない子供を病院に連れて行くと、医師や看護師から『お子さんのことは、ママにきかないとわからないですよね』と言われたりして、父親ってこういうものだよね、という固定観念が社会に根強く残っているのを感じるんです」 ママ友と違ってパパ友が作りづらいのも、多くの男性が従来の“男らしさ”に縛られていている所以だと分析。 「妻を見ていると、子育てにおける悩みの共有というのが、親しいママ友を作る上で非常に重要なんだなと思うんです。でも、男性の多くが、自身の葛藤をさらけ出すことは 、“男らしさ”の否定や尊厳の喪失と捉えてしまっていて躊躇しがち。僕自身も子育てをしていて、いろいろとつらいことがあるのに、長いあいだそれを共有できるのは妻だけでした。 ただ、そこを乗り越えると、父親としての景色が少し変わる気がするんです。今、僕がパパ友として楽しく話すことができるのは、家事や育児に向き合い、仕事に追われながらも、従来の父親像から脱却しようと自分なりの父親としての生き方を模索している男性ばかり。道しるべのない父親としての葛藤を正直に打ち明けあえるから、自分は一人じゃないんだなと思えるし、同じ時代に一緒に子育てをしているんだなと感じられます」