「自由に競争できる社会=公平」と思う日本が陥る悲劇 競争しなくても目的を達成する手段はある
私たちの社会は、<競争を中心とする経済>と<協力を中心とする財政>とでできている。 ところが、現実の社会がそうであるにもかかわらず、受験勉強という名の、富裕層に有利な競争が子どもたちの学びの真ん中に置かれる。大学では大企業や証券会社による寄付講座が次々と増え、競争に加わり、勝ち抜くための方法が学生たちに叩きこまれる。 競争に比べ、協力することの意味や価値を学ぶ機会は限られている。だがそれでは、子どもたちは、人間社会の現実の半分しか知らずに大人になってしまう。
■共通の目標を達成する学びの方法はいくらでもある オーリックという教育学者が面白い提案をしている。こんな子ども向けのバレーボールはどうだろう、という提案だ。 サーブされたボールをレシーブすると、レシーブしたプレーヤーは急いで相手コートに移動する。次に戻ってきたボールをレシーブしたプレーヤーもまた、相手のコートに移動する。こうして両陣営のメンバーがそっくり入れ替わったとき、両チームが勝利者となれる。
競いあうのではなく、協力しあうことで共通の目的に到達する。むろん、私たちは各人が練習にはげみ、サーブやスパイクのレベルをあげていくことができる。努力はスポーツの難易度をあげ、より困難な状況に仲間と協力して立ち向かう力を育む。 スポーツはもちろん、芸術、地域活動、ボランティア、主権者教育など、共通の目標を達成するための学びの方法はいくらでもある。これらをもっと教育に活かしてはどうだろう。 きれいごとを言いたいのではない。人口が減り、高齢化も進み、かつてのような経済成長が難しくなる21世紀は、コミュニティへの依存が強まり、人間が連帯して困難に立ち向かう<温かくて厳しい時代>になる。協力という<人間のもうひとつの本質>への気づきを与える教育こそが、未来を豊かにする原動力となるのだ。
井手 英策 :慶應義塾大学経済学部教授