小倉智昭さんと〝文春砲〟食らった画家が最後の会話を明かす「元気になったら会わせてくれ」
9日に77歳で死去した小倉智昭さんを「兄貴」と慕っていた俳優で画家の庄司哲郎が、小倉さんとの最後の会話と事実上、最後に聴いた曲について明かした。 【写真】ひげをたくわえた小倉智昭 小倉智昭さんと同じ5月25日生まれのシンガー・ソングライター伊丹哲也と懇意にしている庄司が、伊丹のニューアルバムのデモ音源を小倉さんに聴かせたという。 「伊丹哲也! 『街が泣いてた』の伊丹哲也か? 俺と誕生日一緒かー。じゃあ、伊丹哲也に俺が元気になるまで、庄司のことはバトンタッチだな。元気になったら伊丹さん、会わせてくれな。一緒にご飯食べよう。伊丹さんによろしく伝えてくれな、庄司!」 これが庄司にとって最後の小倉さんの言葉となったという。 伊丹は「伊丹哲也 & Side By Side」として1980年にメジャーデビュー。今月、26年振りのニューアルバム「晴天と武器」をリリース。サイン入りのCDを小倉さんに渡すのを楽しみにしていたという。 庄司は2016年8月に薬物事件で逮捕され、「週刊文春」では小倉さんが資金援助を行った〝資金源〟と報じられた。これを受け、小倉さんは同年9月1日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)で庄司について「絵の才能を高く評価し、彼の絵を買うなどして応援してきた。なぜかと言うと15年前に知り合い、私と同じ事務所に10年間一緒にいた。苦しく、相当つらい思いをしていたようだ。何とか応援してあげたいと思った」とコメント。庄司の絵画をたびたび購入していたことを明かした。 その上で〝資金源〟と報じられたことに「すごくつらい。資金源と書かれるのは納得がいかない」と抗議。庄司は現在も一貫して無罪を主張している。 騒動後も両者の交流は続いていた。
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