黒柳徹子「1日分の食べものは15つぶの大豆だけ」。空腹と悲しみの中、避難した防空壕でトットが考えていたこと
◆夢の献立 しばらくすると、「空襲警報解除」を知らせる声が聞こえてきて、トットたちはやっとのことで、防空壕から出ることができた。 「今日はもうこれで終わりです。帰っていいです」 先生にそう言われたけど、家が近づくにつれて焼けていないかが心配になってきた。でも、朝、出たときのままの家が見えてきて、ひと安心。 「ああ、よかった。家は燃えていないし、ママたちは生きている。それに、大豆もまだ8つぶ残っている」 トットは、ほっと胸をなでおろした。 おなかがすきすぎて眠れないときは、夢の献立(こんだて)を絵に描(か)いて遊んだ。 この遊びはママが発明したもので、食べたいごちそうの絵を描いて、「いただきます」「もぐもぐ」「おかわり」なんて言いながら、食べるマネをする。あまい卵焼きや焼いたお肉の絵を描いて、「もぐもぐ」をくり返していた。 配給は海藻麺(かいそうめん)とかいうものになってきた。 海辺に打ち上げられた厚い昆布(こんぶ)を粉にして、こんにゃくを、うどんのように長く伸(の)ばしたものに混ぜこんだのが海藻麺だ。 なんか、カエルの卵みたいでやだったけど、仕方がない。もう調味料もなくなってきていたので、ただお湯でゆでて、カエルの卵をズルズルとすするのだった。 ※本稿は、『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)の一部を再編集したものです。
黒柳徹子
【関連記事】
- 黒柳徹子 兵隊さんが貴重な「外食券」を私達親子に押しつけるように立ち去って…「アメリカとの戦争が始まったのは、その年の暮れのことだった」
- 黒柳徹子 42年ぶりにトットちゃんを書いたわけ「戦争中は1日に大豆15粒、栄養失調だったことも。子ども3人を育てた母親の奮闘に感謝」
- 黒柳徹子「テレビ黎明期の生放送の経験が、ユニセフの活動にも活かされた。誰もが自由で、戦争のない世界を」
- 美輪明宏「ヨイトマケの唄」熱唱の映像が公開「《元祖ビジュアル系》として物議をかもしたのは、70年近く前。闘いの連続でバッシングされ、困窮を極めたことも」
- 『徹子の部屋』にて追悼・中村メイコさん特集 なぜ私のことを苦手だったという黒柳さんと分かり合えるようになったのか。私たちはどちらも『孤独な女王様』である