療養中にパリ五輪観戦で物議のフジ・渡邊渚アナ 批判を招く理由は「過剰な警戒心」か
インスタで見える「強み」は女子アナとしての「弱み」? 今のままでは「お高くとまっている」女子アナに
「注目されたい」という自意識、先読みのできる頭の良さ、うわさ好きな人間を拒む高潔さ。SNSからは、決してつづられなかった渡邊アナのパーソナリティーが浮かび上がる。ただ、それらが女子アナとしての強みかというと難しい。批判されないよう予防線を張ってばかりの、腹の底が読めない女子アナ、という印象に転びかねない。 自分の知らないところで何を言われるか分からないから、自分の情報は人に教えない。自分の嫌いな人たちに、あれこれ言われるのは許せない。そういった信条や思いは納得できるし、なんら制限を受けるものではない。でも、警戒心をむき出しにされて、モヤッとしない人もいないだろう。インスタなどを通して見守っていた側からすれば、どうせ下世話なうわさ話をするんだろ、と、無言で決め付けられたような気になるのではないか。 一方で渡邊アナの懸念は、当たってしまっている。ちょっとでも情報を渡したら最後、井戸端会議やネットニュースの種にされてしまうのは確かなのだから。でも渡邊アナがこれから復帰して向き合う視聴者の多くは、私も含めそういううわさ好きな一面を持つ人たちである。中には、やっかみを向けてくる人もいるだろうが、ほとんどはぼんやりと画面を見ているだけの無害な人間のはずだ。それでも警戒心を隠さないというスタンスならば、やはり「友達少なそう」「お高くとまってる」と、かえって反発を招いてしまうことだろう。 パリ五輪中継キャスターには同期の佐久間みなみアナが抜てきされ、渡邊アナにとっては楽しい思いだけでなく、歯がゆい思いもあったのではないか。海外に行けるほど回復したのはとても喜ばしいし、早く復帰がかなうことを祈る。ただ、そつなく傷のない自分を守ろうとし続ける人よりも、かすり傷や穴がある人の方が愛されるというフジ女子アナの成功法則を、たまに思い出してみてはどうだろうかとも思ったりする。
冨士海ネコ(ライター) デイリー新潮編集部
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